秘密のメモリーメモルノフ、ドゥワー♫

  • 平和ボケ

    平和ボケの国日本には、ただ平和と叫べば平和になると思っているバカがいる、と言う人がいる。だが、ひとりひとりが望めば平和であるはず、というのは人間としてごく当たり前な普遍的な感覚だと思う。そんな簡単なことがなぜ実現しないのか、どうしてこんな理不尽なことが起きるのか、という疑問は、紛争地で被害に遭った人たち、命からがら逃げてきた難民たちのほうこそ、強く胸に抱いているのではないか。つまり、心から平和と叫びたいのは、むしろ平和ボケとは対極にある人たちである。

    憲法を容易に解釈変更できるようではもはや絵に描いた餅だし、国民の大半が改めたいというのならば、私はそれに従うまでだという思いだ。だが、海外で人を殺さない国日本、というのはなかなか魅力的な理念であり、もったいないなあ、とは思う。

    以前、ただ平和と叫べば平和になると思っているらしいバカな私に対して、永世中立国スイスが実はがちがちの武力国家であることを知っていますかとふっかけてきたやつがいた。そんな誰でも知っているようなことを私が知らないで、ただただ平和平和と叫んでいたと思っていたのか。先の法制では集団的自衛権の行使の是非が議論となっていたのに、そこに中立国の軍事のありようを持ち出すあたり、全く話が分かっていないことをさらけだしているのは君のほうである、とここでこっそり言っておく。
  • スケベなオヤジ

    ふっ。スケベ丸出し嫌われて当然。モテ男、紳士たれ。しかし、モテ期は一向に来ないまま時は過ぎた。しまった。スケベ丸出しせずしていつスケベができよう。当たり前のことにやっと気づいたとき男はすでにオヤジである。かくしてオヤジはみなスケベとなる。
  • 比喩禁止国家の大リーガー

    右手にマイクを握った中央テレビアナウンサーの川岸マリは、カメラに向かって言った。

    「それでは見事な三安打完封ピッチングを見せた元大リーガーの菅原投手に体当たりインタビューです」

    「おいおい、体当たりはまずいんじゃないか」カメラを肩にかついだ男が小声で窘めた。そのとき球場のあちらこちらからカチャリという金属音が鳴り響いた。客席に配備された兵隊たちがこちらに向かって一斉に銃を向けたのだ。

    「ほらみろ。気をつけろって言ったのに」

    作り笑顔の消えた女子アナは眉間にちょっと皺を寄せながら見回したあと、兵隊たちにも聞こえるように大声で叫んだ。

    「いいんだもん。本当に体当たりするんだから」

    彼女はベンチの前でたくさんのフラッシュを浴びている菅原光一の方へ一目散に走り出し、そして全力で彼の躰に体当りした。

    「いてえなあ。何をするんだ?」

    菅原がむっとするのを無視して、マリは「あなたにとって、野球とはなんですか?」と訊き、マイクを彼に向けた。

    「野球とは……」

    それまで慣れた様子で他のマスコミのインタビューに流暢に答えていた菅原は、そこで初めて少し動揺した素振りを見せた。だが、ひとつ小さな咳払いをした後は、また元の冷徹な顔に戻り、再び淀みなく答え続けた。

    「野球とは、球技の一種であり、1チーム9人編成で2つのチームが攻撃と守備を交互に繰り返して勝敗を競う競技です。相手チームの投手が投げたボールという丸い物体をバットという棒で打ち返し、その間に一塁、二塁、三塁の順に走り、本塁まで到達することで得点を得るという行為がこの競技の基本となり……」

    「そんなことは私だって知っています」とマリは声を荒らげて遮った。「そういうことじゃなくて、あなたにとってなんなのかと、私は訊いているのです」

    投手は左の口角をわずかに上げたあと、「僕にとってだって?」とわざとらしく訊き返した。

    「それは僕にとっての野球と、君にとっての野球が別物だってことかい?」

    投手の顔にだんだんと意地悪さが表れてきた。(つづく)

    (という話を思いついたんですけど、需要ある?)
  • Kさんとの会話 詰所内極秘資料 持出し禁

    あー、またKさんと差しで話すのかよ。気が重いよ。
    でもナースステーションで君たちにとり囲まれてそこに監禁され、Kさんをなんとかしてくれって詰め寄られたときの方がよっぽど苦痛だったけどね。

    まず僕の個人的な考えを話しておくと、今の全身状態が落ち着いているとはいえ(そしてたぶん努力したとしても今後も)、Kさん一人で自宅介護させるのは患者を殺すようなものだと思っている。

    一人じゃ介護できないっていうことを一度は納得させるためにとか、とにかく一度出て行って欲しいとかいうのが根拠なのならば、それは拒否する。僕も君たちの気持ちはわかるけど(ここが大事。人間は気持ちはわかるけどどうにもできない生き物なんだよなあ)なぜならやはりそれは生命を危険にさらすことになると、医学的に判断せざるをえないからです。

    春に在宅介護に向けてどういう方向性でいくのか、ケアマネ関係2名、どっかのケアマネ関係の人1名、その他区役所のナントカ部門とか市役所のナントカ部門とか(福祉だとか在宅介護だとか障害だとかそれそれはいろいろと担当が分かれていて)、その役人みたいのが3名ぐらいきて、それに師長や私が加わって外来に入り切らないくらない人数で第一回の打ち合わせが行われた。

    正直こんなの何回も続くの?って思ったよ。まあみんなそれぞれなりに、Kさんの性格や住んでる家のこととかを知っててさ、在宅にいたるまでの道筋、訪問医療、ヘルパー、ベッドは介護ならレンタルだけど障害なら支給になるとか、現在の住まいの構造に致命的な欠陥があるから在宅するなら別な場所に引っ越したほうがいいとか、手続き的にも現実的にも問題がいくつもいくつも山積で、そのときは64歳だったけど64歳でも介護申請できる条項を探すか、だめなら65歳になるのを待つしか無いですねという話でお開きになりかけたんだけど、その中のKさん夫妻をよく知るというスタッフが、正直な話しいろいろな理由で在宅は無理だと思うんですが先生はどう思いますかと聞かれたので、僕も、たぶん1週間持たないと思いますと答えた。
    それで何となくその会合はあきらめムードで終わったんだよね。

    今日、君たちに詰所に監禁されて君たちの不満や不安をいろいろ聞いた後、僕はさっそくK氏を体育館の裏、ではなくて外来に呼び出したよ。一応話の途中で声を荒げる予定もしていたので、歯止めがかからなくなったら困ると思って、絶対に温厚な院長に立ちあってもらった。院長は、私も何度も言ってるんだけどねー、って言ってた。世界中の人が院長みたいに平和な人だったら、ひょっとしたら世界は平和になるのかもしれないね。僕はひょうひょうとして優しい人柄だと思われているふしがあるけど、本当はきれたら恐いらしい。そんなところをお気に入りの香織ちゃんに見られて嫌われたら困るから、香織ちゃんには出ててもらったよ。

    はじめはおだやかな雰囲気でいつもの状況報告から始めた。褥瘡も回復傾向を見せており、縫合するチャンスを伺っていること、肺炎も落ち着いており、急性期ではなく慢性状態であることを伏線で説明した。分かりましたか。分かりましたと笑顔で答えた。ここまでは笑顔。

    ここで笑顔を消して口調を豹変させる。
    ところでさあ、Kさん、在宅在宅ってしつこく言ってたけど、今でも家に連れて帰りたいって思ってる?
    そしたら返答はこう。もちろんそういう希望はありますが、現実問題として無理かなと思っています。やはりなにか合ったときに病院にいたほうが安心かなと。
    以前に比べて少し現実的にはなっているようだった。

    じゃあいずれにしてもこの病院に長くいることになりますよね。
    と、僕は声色を変え始めた。
    それじゃあちょっと、あらためてKさんに話がある。
    そして僕はちょっと表情を険しくする。

    褥瘡の状態も回復してきているってさっき言ったよね。だから、体位変換の時間も厳密でなくてよいよう指示してある。状況は変化するんですよ。だ・か・ら、「数分」遅れたぐらいで大声で怒鳴ったりするようなことは謹んでもらえないかな。

    ど、怒鳴ってませんよ、ただちょっと…とKさんはとぼけだした。
    数分なんてことはないよ、ときには20分も30分もこないことがある。
    俺が昼間いるときはいいけど、夜とかいったいどうなってんだか……。

    さっきもいったけどさ、奥さんは今は慢性状態で安定しています。それに患者さんはKさんだけじゃありません。いいですか。2階は比較的重症なかたばかり入院しています。現在安定している3階のKさんよりもそちらを優先する頻度が高くなります。夜間はその重症な2階の患者をほとんどひとりで見まわるんです。部屋に行かなくても詰所には監視モニターもありますし、急変には充分対応できると思いますが。20分30分は別に非常識な時間でなないと思います。

    ちがう、俺が言ってるのは夜じゃなくてほとんど昼の話だ。昼なのに20分も30分も来ねえんだよ。

    あのねKさん、正直にいっちゃうよ。もうスタッフの大部分がね、あんたを怖がってさ、あんたのいる部屋へは足がすくんで入れないっていうんだよ。今日はKさんの部屋の担当だって分かると、その日は朝から気が重いんだってさ。スタッフ全員の士気が下がっている。これではどんどんスタッフがKさんから遠のくよ。お互いに不幸なことじゃないの?

    いや、俺が文句いったのは全員じゃない、一部のナースだ、2,3人のことだ。

    ここで僕もきれかかる。あんたねー、さっきからああいえばこういうだろ、俺とでさえもう喧嘩状態になってきてるじゃないか。あんた俺とも喧嘩したいのか?

    い、いやー、と汗をかいてびびり始める。

    あんねー、2,3人に怒鳴ろうが全員に怒鳴ろうが同じ事なの。2,3人怒鳴られたら、スタッフたちはみんな自分たちが怒鳴られたって思うだろ。しかも理不尽だったり、決められたとおりにやってるのに文句言われる、怒鳴られる、あんたもつらいのはよく知ってるけど、スタッフだって人間なんだよ、弱い人間なんだよ、恫喝されて傷つかない人間がいるかい?

    ここでKさん、うつむいて考えだし、そうだな、2,3人だろうが全員と同じ事だな、とかつぶやき出し、だんだんしおらしくなる。

    お互い感情的になってさ、信頼感失ってさ、なにもいいことないじゃん。

    「そうそう、感情的になるとね」とここで院長が初めて発言する。絶妙な合いの手。世界中が院長みたいな人だったらいいのに。

    あんね、院長にとっても僕にとっても、彼女たちは大事なスタッフなの。スタッフを食わしていかなくちゃならないし、スタッフなしじゃ仕事できないの。そのスタッフたちが、Kさんがいるために仕事できないっていうことになったら困るわけよ。僕らとしてはスタッフを優先せざるをえない。

    ということは、病院を移れということですか?

    ま、そういうことになるね。

    それは自分で探して?

    最悪ね。現実問題としてそうなったらもちろん当たってみてあげるけど。まあそれはおいといて、お互いなんの得にもなってないじゃない。これじゃ誰も幸せになれない。僕からみてスタッフたちはちゃんと看護計画を立ててそのとおりに頑張ってやってると思うよ。そこに理不尽な過度なクレームで怒鳴られちゃ誰だって士気が落ちるでしょ。しかも院長が何回も禁酒だっていってるのに、昼間一回家帰って酒のんで、酔っ払って病院来てるだろ。まあこっちだっていろいろ行き届かないところが多々あるのは認めます。申し訳ないです。だけど、他の患者さんもいるし、Kさんだけっていうわけにもいかない。そこんところぜひ理解してください。

    このあたりから落ち込み始めて涙ぐむ。俺が全部悪いんだとかつぶやくようになる。

    Kさんもさっきは病院でっていったけど、本当は理想的にはもっと良くなって家に連れて帰りたいんでしょう。当然だよね。だけど現実問題としてそれは無理だと思い始めているんでしょう。頭では分かっているけど、感情的には家に連れて帰ってやりたい、その狭間で苦しい思いをしているんだ、きっと。だからつい酒で紛らわせちゃうし、いらついてスタッフに怒鳴りかかったりするんだ。違いますか? と急にやさしくなる僕。

    全くその通りです。と号泣する。

    お気持ちは充分理解していますけど、スタッフも人間ですので、どうか暴言や過度なクレームをスタッフに直接浴びせかけるのだけはやめて欲しい。これは私からのお願いです。と僕は頭を下げた。

    そんな、先生が頭をさげるなんて、とびっくりするK氏。

    ただし、これでハッピーエンドでは終わらせないよ。
    今後は何かご不満な点、つーか文句があったら、ナースに云わないで、院長か僕か事務長に言ってください。いいですか、絶体ナースに直接言うなよ。僕に言え。今度ナースへの暴言があったら、本当に他に移ってもらうからな。

    以上のようなやりとりをしました。

    その場では本人も泣き崩れて相当反省したようには見えたのですが、僕はまだ信用していません。ほとぼりがさめた頃にまたやる可能性が高いと思っています。そのときは約束通り、他へ移ってもらうこととします(すでに具体的に事務長と候補を検討中)。

    ですので、あまり気にせず普通に対応してください。
    怒鳴られたらその時点でアウトですので僕に連絡してください。
    怒鳴られても危害を加えられるわけではないので安心してください。
    僕は大学時代の教え子に関西方面全域を支配していた暴走族リーダーとか保護観察中の研修医とかがいましたし、商売柄ヤ◯◯の上層部の治療をしたこともあるし、この程度ではなんとも思ってません。うそです。ほんとは1000床の巨大大学病院でのクレーム担当をやったことがあり、もうそれがコリゴリで精神に異常をきたして北海道に帰ってきたので、こんなことはほんとうはヤなんです。だから金輪際、ナースステーションに監禁して脅迫してこんな役目を僕に押し付けるなんてことはしないでくださいね。
  • オイデくんが空手で鉄を割った記憶

    小学生のとき空手をやってるというガキ大将のオイデくんに目をかけてもらった。権力者をすばやく見つけ出してその傘下に入るという手段は虚弱児の僕が生きていく上で本能的に身につけた技だ。

    僕はオイデくんの機嫌をとろうと思って、ついつい僕も空手をやってると嘘をついてしまった。

    「なにー、お前も空手やってるのか。お前、何割った?」

    いきなり割ったものを聞くなんて、オイデくんほんとうに空手やってるんだろうかと一瞬疑ったりもしたが、疑ってみたところで何の得にもならないので保留することとし、僕が何を割ったかについて考えることにした。

    「ふつうは瓦とかを割るよね」と、ナンバー2のカガワくんが言った。
    「なにー、かわらー? かわらなんてめちゃくちゃやわいだろ」とオイデくんは声高く断言したので、カガワ君はてへへと笑ってごまかした。

    僕は何を割ったことにしたらいいだろう。カワラはやわいと言われたので、カワラと答えたらめちゃくちゃ馬鹿にされるだろう。だが、下手に頑丈なものをあげると、今度はそれがウソであることを見破られてしまうし、もしもそれがオイデくんでも割ったことのない硬いものであったなら、僕は即座に絶交されてしまうかもしれない。

    うーんうーん、あたりさわりのない、かつ現実味のある空手で割るものはないだろうか。

    これだけの思考を瞬時にめぐらせたあげく、実際には僕はとっさに答えたのである。僕は頭の回転だけは超小学生級だった。

    「たいしたことないけどスイカだよ、スイカ。こう、すぱっとね」

    オイデくんはにやっと笑った。どうやら作戦は成功だ。僕も空手をやっていると信じこませることに成功したあげく、彼のプライドも傷つけずにすんだようだ。

    「けっ、スイカかよ。しょうもねーなー。いいかあ、よく聞いとけよお。俺なんかなあ、鉄割ったんだぞ、鉄。鉄ってめちゃくちゃ硬いんだぞ」

    そのとき僕は、ひょっとしたらオイデくんは空手なんかやってないのかもしれないと思った。だけど、もしもほんとうだったらこれはもう絶対に勝てっこないので、僕はおとなしくそれを聞くことにした。

    「へえー、すごいねー」

    つづく
  • カヲル先生の写実主義の記憶

    カヲル先生は写実的に絵を描くということを最初に教えてくれた先生だ。一番最初の課題は、自分の左手を描く、というものだった(たぶん左利きのやつは右手を描いたのだと思う)。

    ただのグーとかパーだとかではありきたりでつまらないので、何かもっと複雑な左手のポーズを考えよう、と言い出したあたりは、実にカヲル先生らしいところだった。

    結局、親指と人差し指だけを伸ばして、残りの指は全部グーの形、というポーズに決まった。この形にした左手を机の上に置いて描く。それが一番楽な姿勢でもあった。つまり、伸ばした親指と人差し指を中心に、それを横から見たような感じで描くことになる。親指と人差し指の間からはすべての関節が曲げられた中指が垣間見える。薬指と小指は中指に隠れてほとんど見えない。

    見方によっては爬虫類か鳥が右側を向いて口を開けているようにも見えた。約30人分の肌色の爬虫類が勢揃いした様はなかなか壮観だった。

    外に出て校庭からの景色を写生するという課題では、僕はカヲル先生の写実主義に従って、まず遠くに見える家やサイロや工場や煙突やらを、すごく細かいところまで忠実に鉛筆で描いていった。だいたい画用紙の上から約五分の一は、その写実的な遠景で埋められた。

    「すごいよ! 完成をすごく楽しみにしてる」とカヲル先生は期待に満ちた顔で僕に微笑んだ。

    今思えば、その上から五分の一だけをハサミで切り取ってしまえばよかったのだ。それはそれで、異様に横長い緻密な風景画としておもしろかっただろう。だけど、当時の僕にそこまで斬新な発想はできなかった。

    <<途中>>
  • カヲル先生のミニカの記憶

    車のマフラが「排気音を低減するもの」だと知ったときの衝撃はかなりなものだった。僕はマフラの正体を、あるいは僕がマフラの正体を知っていることを、早く誰かに話したくてしかたがなかった。

    僕は一度だけ、用事で遅くなったので、担任のカヲル先生の車で自宅まで送ってもらったことがある。白い三菱ミニカだった。小さい車に乗るのは初めてだったので、そのエンジン音が車内に鳴り響く大きさにとてもびっくりした。大声で話さないとお互いの声が聞こえないほどである。けれどもカヲル先生は別段気にする様子も見せず、普段通りのたわいのない会話をしてきたので、別に故障だとかの異常事態ではないんだということは分かった。

    僕は車から降ろしてもらったときに、ありがとうございましたと言う代わりに、「先生、マフラ外してるんですか?」と聞いてしまった。目立ちたがりやの不良たちはわざとマフラを外して音を大きくして走ってる、という話も聞いていたからだ。先生は「え?」と怪訝な顔をしたあと、少し落ち込んだようだった。

    「いや、外してないよ。小さい車は音が大きいんだよ。マフラつけててもこんなものなのさ。君のお父さんのマークツーはずいぶん静かなんだろうな。でも先生にはあんな大きな車はまだ買えないんだ」

    そのとき初めて、僕は自分がただ知識を見せたいためだけに、たいへん失礼な発言をしてしまったことに気づいた。
    今でもあのカヲル先生の一瞬の悲しそうな顔を思い出せる。
    先生、すいませんでした。
  • 私(支配者)の記憶

     私はホテルを出るとモノレールの駅の方向を確かめ、大股で歩き始めた。ところが目の前のカップルがショウウインドウに目を奪われて急に立ち止まったので、私はぶつかりそうになって慌てて身をよけた。すると今度は前から歩いてきた中年女性が私にぶつかってきた。私を追い越す人々は皆私にぶつかっていく。私以外のすべての人間は、わざと私に絡んでいるのだろうか。私はいらいらしてきた。再び私は目的地に向かって歩き出したが、相変わらず前を歩く奴らは急にペースを落として私をつまずかせ、前から来る奴らは道を譲ることなく私にぶつかり、後ろから来る奴らは私のカバンやコートの裾を揺らして追い抜いていった。間違いない。奴らにとって私は特別な標的なのである。私は自分の両足に命令を下して、私の移動速度を上げた。奴らを追い越し、追い越し際に今度は私のほうからわざとぶつかってやった。前から私に向かって来る奴らにはウーという犬のような声を出して威嚇した。私は本当に眉を吊り上げてウーウーと声を出しながら歩いた。奴らは恐れをなしていたが、表情を微動だに変えず、全く私の声が聞こえないようなふりをして去って行った。間違いない。奴らは私を監視している。

     かわいそうなことではあるが、彼らはやがて私に征服される運命にある。なぜそんなことが分かるかというと、この世界を創造したのは他ならぬ私だからである。そのことは、こういう雑踏に出てみるとより一層はっきりする。例えば、私はここにいる奴らの目を見ることができるが、私は私の目を見ることはできない。鏡に映った自分の目を見ることはできるが、鏡に映った私はあくまでも像であり、私自身ではない。それに、これだけの人間が集まっていながら、私の考えていることが聞こえるのは私だけだ。私は特別なのだ。稀有な存在なのだ。よく見ると彼らはどいつもこいつも全く冴えない顔をしていやがる。ちゃらちゃらして何も考えていない若者、遠慮を知らない中高年女、それに疲れきってダサい中高年の男どもばかりだ。だが、今ここで私が神であることを顕示するのはやめておこう。あせらなくても私はやがて支配者になる運命なのだから。

     私は私が私だと悟られないように慎重に一定のリズムで歩き、モノレールに乗った。私は自分が支配者であることがばれないよう、わざと遠慮がちな態度をとり、荷物を膝の上に載せ両肩をすぼめて座った。それにもかかわらず、右側からは汗臭い中年男が、左側からは香水臭い中年女がぎゅうぎゅうと押してきやがる。全く下等な生き物だらけだ。やがて私に支配されるということすら知らない。ひょっとすると支配された後もそのことに気づかないくらい頭が悪いのかもしれない。私はさすがに腹が立ったので、両隣の下等な生き物に罰を与えることにした。私は自分をサボテンに変身させた。全体が鋭く太く長いとげで覆われた危険なサボテンである。私のとげは中年男のだらしなく出っ張った腹に突き刺さり、そして香水女の頬を貫通した。おそらく耐え難い疼痛を感じているはずだが、奴らはそのことを気づかれまいとやせ我慢しながら、まるで何事もなかったかのように無表情でいやがる。

     モノレールが次の駅で止まると、ピンクのウィッグをつけた美少女がその駅で降りた。私の目の前にいた、背が高くてかっこいい、いかにもモテそうな男子高校生二人が、お互いに目配せをしながらその美少女を舐め回すように見送った。そしてそのうちのひとりはヒューっと口笛を吹いた。彼はピンクの髪ってかわいいじゃん、お前どう思う、などと話しながら自分の携帯電話を取り出した。そして彼は、その携帯に保存されている二次元美少女画像コレクションの中から、髪がピンク色なものだけを次々と選び出して連れに見せながら感想を求めていた。私はまだ高校生じゃないかと自分に言い聞かせながら自制していたが、ついにたまらなくなって両目からレーザー光線を発射し、彼らの脳組織を破壊した。彼らは何事もなかったかのように振舞い続けたが、すでに自分の自由意志で動いているわけではなかった。私に動かされているのである。いや、私の妄想の中のみの存在になった、と言い換えた方が妥当かもしれない。

     目的の駅が近づいたとき、別の男子高校生二人組みの会話が耳に入ってきた。私はいやも応もなく愚民どもの会話が聞こえてしまうのだ。二人のうちの一人は、最近大型電気量販店でゲーム機器を購入したらしい。そしてポイントが二千円ぐらいあるという。彼としてはそれをゲームソフトなどに使いたいと考えているのだが、彼の母親がそれで健康器具を買おうとしている、母親なので逆らえない、でも自分のポイントなのに、というような悩みを友達に相談しているのであった。私は今までに数え切れないほどの悩みを人間たちから聞き、そして解決してきたが、彼の悩みほど高校生らしく清清しい悩みは久しぶりに聞いた。彼は先ほどのイケメン高校生とは対照的で、背が低く、出っ歯で、ほとんどおしゃれには関心がないようであった。私もすべての愚民に冷たいわけじゃない。このように素朴で素直な若者には褒美を遣わすことだってあるのだ。おそらく彼は高校在学中には彼女はできないだろうが、大学2年生になったときに同じクラブに入ってきたかわいい新入生にときめきを覚え、やがてすぐにその思いが伝わることになる。私はそのように彼の人生をセットし直し、モノレールを降りた。
  • 僕(被支配者)の記憶

     僕はモノレールを降りるとズボンの右側を探りながら改札口へ向かった。乗車券は僕が改札口にたどり着く前に取り出され、僕は歩く速さをほとんど緩めることなく改札をすり抜ける予定だった。ズボンのポケットの中で乗車券の角が人差し指の腹に当たり、チクッと軽い痛みを感じるはずだった。だがいくら人差し指をかき回してみてもそこにあるはずの乗車券は見つからなかった。僕は歩きながらズボンの左側のポケットを探った。さらに上着の内ポケット、そして上着の左右のポケットまでをも探るはめになった。それはまったく僕の予定していなかった行動だった。そして僕はとうとう乗車券を見つけ出せないまま改札口までたどり着き、そこで立ち止まってしまった。

     僕が人ごみの中に出るのはずいぶん久しぶりのことだった。もともと僕は都会の雑踏が苦手で混雑する場所に出向くことをなるべく避けている。改札口で立ち止まっていると、見知らぬ顔という顔が恐ろしいスピードで次々と僕を追い越した。中にはあからさまに邪魔だという顔をしたり、激しく打つかったりするものもいた。僕は自分の足がすくむのを感じた。そして、このまま自分がパニックに陥ってしまうんじゃないかという不安に陥った。頭の中が真っ白になり、そうでなくても元々脆弱な僕の方向感覚はほとんど麻痺しかかっていた。次から次へと流れてくる見知らぬ顔。全部が全部見知らぬ人なのだ。見知らぬ人とはいえ彼らはみんなそれぞれにいろいろな人生を送っているはずだ。そんなことは頭では理解している。しかし、その感覚は実感としては湧いてくることはなかった。

     僕は幼い頃の自分を思い出した。保育所に預けられたときのことだ。僕は保育所に来る前は、母親が病気だったこともあって、その両親すなわち祖父母に預けられていた。祖父は僕に世界の名文学と数学を教えることが生きがいだった。僕は祖父が仕事をしている間、そして祖母が家事をしている間、つまりそれは一日の多くの時間ということになるが、その間を一人で過ごした。小学生が読むような海外小説をひたすら読み、小学生が解くような算数の問題をひたすら解き、残りの時間は空想に耽ることに費やした。僕の頭の中には、僕をまるで空から俯瞰するようなもうひとりの<僕>が生まれていた。もうひとりの<僕>は僕がひどく悲しくなったときや窮地に追い込まれたときに現れて、命令するような口調で自分の考えを述べた。

     保育所は僕にとって地獄のような場所だった。いっしょに預けられた見知らぬ子どもたちは、僕にはさっぱり意味の分からない奇声をあげながら体育館の中を走り回っていたし、そうやって走り回る理由も僕には全く理解できなかった。僕だけが止まっていた。僕はドーナツの穴だった。その他大勢の子どもが僕の周りをすごいスピードで走りだした。彼らの奇声は互いに反響し合い、不快な騒音として僕の鼓膜を刺激した。思考の邪魔だった。黙れ。僕はその場にうずくまり、両耳を手で塞いだ。しばらくそうしていると、母親が迎えにきた。
    「耳を塞いでうずくまっちゃうんですよ」と保母が言い、母が謝った。僕は3日で保育園をやめた。

     なんとか足に意識を集中して僕はゆっくりと歩き出し、改札口そばの事務室に向かった。
    「すいません。切符を無くしてしまったようなんですが……」
    事務室には制服を着た若い女がいた。
    「どちらからお乗りになりましたか?」
    そのとき僕は乗った駅の改札機に切符を差し込んだまま取るのを忘れたことに気づいた。
    「市民広場駅です。いや、でも信じてくれなくてもいいです。始発駅からの料金を払うのでどうか出してくれませんか」と、僕はおどおどしながら言った。
    「ちょっと待ってください」女は僕とは目を合わせずに、奥に引っ込んだ。上司にどうしたらいいか訊ねているようだった。
    「どうぞこちらから出てください」と女は言って、事務室の横の出口にかかっていた鎖を外した。
    「あ、料金はいいんですか?」
    「よろしいです。でも、今度から気をつけてください」
    「すいません」
    そのときは女の機嫌をそこなわないよう精一杯振舞ったのだが、しばらくすると、どうして僕があんな若い女におべっか使わなくちゃならないのだろう、たかが数百円のために、などと後悔し始め、腹が立ってきた。

     僕は再び歩き出した。だが足は自分の意志で動いているというよりも、誰かに動かされているような不思議な感覚だった。こうして雑踏の中に自分がまぎれると、自分もこの群集の中のたった一人に過ぎないことを痛感させられる。幼い頃は天才だ神童だとちやほやされて育てられ、IQの高さに驚いた小学校の担任には特別扱いされもしたが、結局僕は平凡な若者としてこの雑踏を形成する一要素としてとぼとぼ歩いている。自分とは何か、生きる意味とは何か、昔から幾多の天才哲学者が悩んだ問題も、現代の思想では結局、自分などいない、生に意味などない、という結論でとどまっている。僕は人込みの中の一粒に過ぎないのだ。知らず知らずのうちにシステムの中に組み込まれ、システムの規則に従って動かされている。自分の言葉や自分の考えなどというものもない。それは文化というシステムによって僕の中に仕組まれたソフトに過ぎない。

     僕の目の前では幾多もの黒い頭がうごめいていた。僕にはその黒い頭がすべて同じように見えていた。それはもはや人間ひとりひとりの頭ではなく、僕の視界をさえぎるただの黒い物質だった。僕はこの雑踏の中に、ロングコートに身を包み右手に皮の鞄を下げて急ぎ足で大股で歩く老人を見つけた。どうしてその老人だけが目に留まったのか、僕は不思議に思った。その老人の顔がどこかで見たことのある顔だからなのかもしれない。しかし、いつどこで出会った人なのか、いくら考えてもどうしても思い出せなかった。
  • タメゾー先生の記憶

    「君は書き出しが実にうまいねー」

    僕は現代国語のタメゾー先生がわりと好きだった。

    「だけど、どうして途中で話を変える。中途半端で終わったな」

    僕はいつも書き出しだけをほめられ、それ以外はダメ出しをされた。

    タメゾー先生は普通の教師にはない雰囲気を醸し出していた。かといって、とっつきにくい感じは全くなく、むしろいつもニコニコして、ときには高校生男子が喜びそうなちょっとエロの入った冗談もよく言った。

    タメゾー先生はよく名作を朗読しながら、途中で勝手にト書きを入れた。例えば、
    「振り向くとそこには美しい少女が立っていた。……岡田奈々のような」
    岡田奈々のような、というところがタメゾー先生のト書きである。

    タメゾー先生にとって文学的美少女とはまさに岡田奈々であった。それ以後、僕が文学作品を読むときに出てくる女性は岡田奈々ばかりになってしまった。これはタメゾー先生が僕に残した唯一の罪といえよう。

    しかし、岡田奈々は僕らよりはほんの少しだけ上の世代のアイドルだった。すなわち、僕らにとって岡田奈々というギャグは、ほんの少しすべっていたのである。だからといって、じゃあ僕らの世代にマッチするアイドルといえば、どうにも健康的で文学とは縁遠い感じの娘ばかりであった。やはり黒髪のロングで病弱なまでに白くて細くて吹けば飛んでしまいそうな抱きしめれば壊れてしまいそうな、それが文学的美少女のイメージだとすれば、僕も岡田奈々以外は思い浮かばなかった。

    だが、その頃、僕らのあいだで美人の称号をほしいままにしていたのは松坂慶子だった。まったく余計なことをする奴は一人くらいいるもので、もう岡田奈々はやめて松坂慶子にしてくれと、タメゾー先生に進言した奴がいたのである。先生はテレビで松坂慶子を確認し、確かに美人だと認めざるをえないといって、渋々ではあったが松坂慶子を採用した。

    だが、もっと余計なことをする奴というのも一人くらいいるものである。週刊プレイボーイに載った松坂慶子のヌードのお尻の写真を持って、わざわざ職員室に出向いてタメゾー先生に見せた奴がいたのである。

    「まあ、なんてやらしい! やっぱりね、岡田奈々でなくちゃだめなんだよ!」

    そのときからタメゾー先生の授業に登場する女性は、やっぱり岡田奈々に戻った。

    このように、タメゾー先生はなんとなく人気があった。そして、何となくではあるが、どこかただ者ではなかったのである。その只者ではないという雰囲気がまだまだ幼稚な高校生を動かしたのであろうが、タメゾー先生はもっと若い頃に芥川賞の最終選考に残ったことがあるのだけれど、惜しくも受賞を逃したので、今はしがない高校教師をやっているのだ、というまことしなやかな噂が流れた。どれくらいまことしなやかかというと、僕がそっくりそのまま信じたほどだった。

    僕は、高校時代に抱えてた謎ベストスリーに入る「タメゾー先生芥川賞最終選考の謎」を、ネットで様々な情報が調べられるようになった今こそ解明すべしと立ち上がった。

    結果としては、まあ当然というか、歴代の最終候補者にタメゾー先生の名前はなかった。だけど、地元では同人誌などでかなり広い活躍をされ、さらに主宰していた文学塾からは、なんと実際にプロの作家が何人も巣立ったらしい、ということを突き止めた。やはり、ただ者ではなかったのである。
  • オーミネとノグチゴローの記憶

    「だけど一番歌が上手いのはノグチゴローだよ」
    新御三家についてみんなが話し合っていたとき、オーミネが人差し指を突き出しながらそう結論づけようとした。

    でも僕は、それが昨日発売の学研中一コースに載ってた新御三家特集の受け売りだということを見抜いていた。たしか、ルックスのゴーヒロミ、アクションのサイジョーヒデキ、歌唱力のノグチゴローという単純で強引な解説が書かれていた。

    「それってコースに書いてあったんだろ」と僕はオーミネを見ていった。
    オーミネは僕を無視して、突き上げた人差し指はそのままに横を向き、別の奴に向かって繰り返した。「だけど一番歌が上手いのはノグチゴローだよ」と。
  • 踊るショウジの記憶

    ショウジは少し頭が弱く、背の低い子だった。
    床屋にいく金もないので母親が髪を切るのだが、いつも下手くそなおかっぱ頭だった。人より勝っている点といえば、眉毛が太くて濃いことぐらいだった。

    ショウジはいつもいじめられていた。
    何か新しいひっかけを思いつくと、みんなはまずショウジで試した。
    「ショウジ、ねえ、ちゃんと風呂入ってるか?」
    ショウジはにこにこしながら「うん」と言った。
    「うわあ、ショウジ、姉ちゃんと風呂入ってるんだってよ。やらしい」
    事実、ショウジには姉さんがいた。姉さんはまじめでしっかりした娘だった。

    ショウジはいじめられても泣かなかった。あまりにも無知で、泣くことすら知らないんじゃないかと思えるほど泣かなかった。どんなに仲間はずれにしても、気がつくといつの間にか付いてきていて、静かににこにこしながらみんなの話を聞いていた。

    だから、口には出さなかったけど、心の底ではみんなショウジが好きだった。

    音楽の授業で「踊る少女」を歌わさせられた。
    誰かが「踊るショウジ」と言った。「踊るショウジ」は伝言ゲームの波紋のように教室全体に広がっていった。みんな笑いをこらえるのに必死になった。
    「朝の光を浴びるショウジ~」
    ひぃー、だめだ、踊るショウジ、おもしろすぎる、腹痛い。
    もうみんな授業中だってことも構わず笑い始めた。みんなショウジの方を見ていた。ショウジも顔をくちゃくちゃにして笑っていた。笑われてるのは自分なのに。ほんと馬鹿なショウジ。

    バンッ

    音楽教師のOが楽譜を叩きつけた。
    「あなたたち、どうしてショウジ君のことを馬鹿にするの?」
    Oは大学を出たばかりの、新任の女性教師だった。中学生男子にとって、白いブラウスから透けるブラジャーの肩紐はなまめかしすぎる。だが、ときどきこうして感情的な怒りを爆発させることがあるので、男子生徒に人気はなかった。Oのことが好きだとでも言おうものなら、なんて趣味が悪いと罵られて仲間はずれにされるおそれがあった。

    「すいません。もうちゃんと歌いますから」
    中学生は永遠にふざけ続けるということはしなかった。このあたりが小学生と異なる成長の証しである。

    「朝の光を浴びる少女~」
    僕たちはショウジと歌いそうになるところを必死にこらえ、現実ではなんとか少女と歌った。でも少女をショウジに変えるギャグは強烈過ぎたので、僕たちの頭の中ではまだショウジが鳴り響いていた。懸命にショウジを少女に逆変換しながら歌っていたのである。

    しかし、ショウジが耳にこびりついてしまったのは僕たちだけではなかった。音楽教師Oの耳にも、ショウジはしっかりと根をはやして居座ってしまったのである。

    「ちょっと! 誰なの、まだショウジって歌ってるのは!」
    誰も返事はしなかった。みんな互いに顔を見合わせて、顔で話していた。
    「誰? 正直にいいなさい!」
    どうやら僕たちの中には、まだショウジと歌っているしつこい奴はもういないようだった。僕らは教師よりも仲間を信じた。Oの空耳に違いない。僕らはそう確信した。まあ無理もない。それだけショウジというギャグは強烈だったのだ。

    「ちょっと! 誰なの! まだショウジって歌ってる!」
    もう僕らは誰も笑っていなかった。Oのあまりの大人気なさにうんざりし始めていたのである。

    「誰も歌ってないって言ってるべや!」
    ついに堪忍袋の緒が切れたマサオ君が立ち上がった。
    「俺たちが誰も歌ってないって言ってるんだから、誰も歌っていないんだよ。あんた俺たちを信用できないのか!」
    「違うわ! 確かにショウジって聞こえたのよ!」
    「あんたの耳がおかしいんだよ。俺たちを信用しようって気なんか最初からないんだ、あんたは」

    Oは涙を浮かべて教室を出ていった。授業放棄である。後味の悪い結末となってしまった。ショウジも立派な眉毛を逆ハの字にして深刻な表情を作っていた。わけなんか分かっていないくせに。

    結局、男子全員が職員室に呼ばれた。担任のオダミが僕たちに説教し始めた。オダミはオダミノルというフルネームの初老の男性教諭だった。他にオダという苗字の先生がいたわけではなかったが、僕らは何となくオダミって呼んでた。マサオ君はオダミにも、たしかに最初はふざけてショウジと歌ったけど、それは最初だけで次からはまじめに歌ったのに、それなのにOが勝手に聞き間違えて勝手に怒りだしたのだと、僕たちが冤罪であることを切々と訴えた。となりの机ではOがすっかり涙の乾いた澄ました顔をして、こちらを見て見ぬふりをしながら自分の事務仕事に没頭していた。いや、没頭しているふりをしているに違いなかった。

    判決は職員室で何時間だかの正座だった。

    そのとき僕らはもう巨大な権力の前に屈するしかなかった。だが、これは冤罪である。したがって僕らは、最後の意地みたいなものだけはなんとか守りたかった。だから、逆にみんなは自分から進んでこの刑罰を受ける気になり、そして僕らは自分たちの一致団結ぶりに陶酔していたのだ。

    僕も、よっしゃ、やってやらあ!って勢いで列に並んで正座をした。ところが、オダミは僕を排除した。
    「あ、お前とオーミネは、生徒会の会議があるからそっちに行け。正座には加わらなくていい」
    あ、いや、そういうワケにはいかねんだよ先生、と僕とオーミネはうろたえた。
    「だめだ。お前らは会議に行け」
    そして僕とオーミネは複雑な心境で恩赦を受け入れるはめになった。

    ショウジは、どうして自分が正座の列に加わることができないのか理解できないので、不思議な顔をしていた。

    会議が終わったので、早く正座に加わらなくちゃと急いで職員室に戻ってきた僕とオーミネ。でも、もう遅かった。正座の刑はすでに執行され、もう終わっていたのだ。
    みんなが痺れて思うように動かない足を引きずりながら職員室から次々と出てきた。
    「痛ってぇ……。ふん、いいよなあエリート様は」
    みんな、僕とオーミネの顔を見て一言ずつ嫌味を言いながら出てくる。僕とオーミネは裏切り者になった。一瞬、とんでもないことをしてしまったような気がした。

    だけど、僕とオーミネは意外に平気だった。
    「けっ、お前ら変な歩き方!」
    僕とオーミネは、奴らに向かって大笑いしてやった。正座ぐらいでまったくだらしのない奴らだよ、な?っとショウジの顔を見ると、ショウジも顔をくちゃくちゃにして笑っていた。
  • 強行遠足の記憶

    強行遠足といって、70kmもの道のりを強制的に走らされるひどい高校が私の地元にあった。その高校は地元で最も優秀な高校だったので、中学で開校以来の天才といわれていた私の選択肢はその高校しかなかった。したがって私の中学生活のおそよ2年間は、その強行遠足を何とか避ける方法はないものかと思案してばかりいた2年間だった。その後中学3年生で大都市に転校したので、結果的に私は強行遠足というとんでもなくつらい経験をしないで済む人生を歩むことができた。

    先日、この強行遠足をテーマにしたドキュメントをテレビで見た。

    これを完走すれば変われるような気がするだって?
    ばかいってんじゃねえよ、人間そんな簡単に変われるもんか。

    これだけつらい思いをしとけば後でつらいなんて思わなくなるだって?
    ばかいってんじゃねえよ、長い人生もっともっとつらいことが待ってるんだよ。

    しかも番組は、もうどうしようもなく運動不足の、
    気の弱そうで落ちこぼれ気味な、男子生徒二人が主人公なんだな、
    よりによって。

    おい、プー、ぶくぶく太りやがって。
    おまえなんかに完走できっかよ。
    できたとしたって意味なんかねーよ。
    どうせ太った中年のオヤジになる頃には、
    あんなの意味なかったって分かるはずさ。
    おい、プー。ほら、言わんこっちゃない。
    時間切れだよ、完走はもう絶望的だ。
    おい、プー。もう絶望的だと言ったろ。
    なんで止まんねーんだよ。もうやめりゃいいだろ。
    おい、なにやってんだよ、もう足つってんだろ、
    やめろよ、もうリタイア決定的なんだよ。
    ほら、車がきたろ。時間切れの回収車だ。早く乗れよ。
    ほら、先生だってもう乗りなさいって言ってるだろ、
    なんでこんなときに限って先生の言うこときかねーんだよ。
    やっと乗ったか、ばーか。
    おい、なんで泣かねーんだよ。
    なんで俺が泣いてんだよ。
    泣けよ、ばーか。
    ほら、プー。
    みんな笑ってんじゃねーか。
    女の子みんなプープーってお前のこと笑ってんじゃねーか。
    へー、結構頑張ったじゃん、とか言われてるじゃん。
    なんでお前みたいなの人気あんだよ。
    なんでみんなお前みたいな落ちこぼれにやさしいんだよ。
    お前らみんなしてなんで俺を泣かす。
    ばーか、完走のご褒美のパンはあげないって女の子に言われてやんの。
    来年もらえよ。

    おい、アニオタ。
    がりがり痩せやがって。
    毎年リタイアだってな。
    今年もだめだろーな。
    親にまで呆れられてやんの。
    弱い奴だって。
    そんなんで札幌の大学なんかでやってけるわけがないって。
    ほら、さっそくビリから三番目だよ。
    言わんこっちゃない。
    その気の長さは死んでもなおらないね、きっと。
    去年は一人ぼっちだったけど、今年は友だちがいるって?
    なに弱いものどうし集まって傷の舐めっこしてんだよ、きもいんだよ。
    そんなゆるゆるで完走したってなにも変わんねーって。
    人生そんな簡単じゃねーんだよ。
    おい、なに友だちふり切ってんだよ。
    おい、朝からもう60キロも走ってんだ。
    もう走れるわけなんかないだろーが。
    なんでスパートかけてんだよ。
    アニオタがスパートなんかするなよ、完走しちゃうじゃねーか。
    なに泣いてんだよお前、たかだか一日じゅう走ってるだけじゃねーか。
    沿道の奴らもなにこんな奴に声援送るんだよ、どうせ形だけだろ。
    おい、両親、呆れてるんだろ、なんでゴール間近に来てんだよ、
    こんなとこまで来るはずないって思ってたんじゃねーのか?
    おい、アニオタ、なに号泣してんだよ。
    おい、なんで俺が号泣してんだよ。
    カミさん風呂入ってたからいいようなものの、
    もし見られてたらどうなってたことか、
    全くとんでもない番組だ。

    もう二度とこんな番組作んなよ。
    たとえば来年プーの完走バージョンとか作んなよ。
    もう二度と俺を泣かせるな、泣かせたらもう一生NHK見ないからな。
  • ビートルズとスティングの記憶

    スティングっていくつぐらいの人? ってカミさんに訊かれた。

    さあ、60ぐらいじゃあないかなあ。

    じゃあかなり昔の人?

    そうだね。ポリスのデビューは俺が高校生のときだからな。

    じゃあビートルズと同じくらい?

    違う違う! ビートルズは俺が小学校3年生のときにはもう解散状態だったんだ。もう、ぜっんぜん違う世代だろ。

    でもよく考えた。ビートルズの解散を1970年と定義すると、ポリスのデビューは1979年、その間たった9年しか経ってない。
    スティングは今年60歳でポール・マッカートニーは69歳、やっぱり9歳違いだ。

    たったの9年だ。9年は短いと思う。
    なぜかというと、最近9年間に、いったい僕は何をしただろうと考えても、何も思い出せないからだ。
    思い出せないほど何もしていない。
    何もしていないから思い出せない。

    それに比べれば、ビートルズが解散してからポリスがデビューするまでの9年間は、一時代といえるほど長かった。
    なぜかというと、それは僕が小学生から高校生へと大変身を遂げた9年間だったからだ。
    僕はこの間に何をしただろう。
    思い出せないほどたくさんのことをした。
    あまりにもたくさんすぎて思い出せないんだ。
  • 草場くんの記憶

    小学校三年生にしてすでに、草場くんは人の笑いをとらなければ気が済まない人間に育っていた。

    転校してきたばかりの僕を後ろの席に目ざとく見つけた草場くんは、「おれ草場たかし」と名乗った。
    「くさばたかし?」
    「あ、今おまえ、くさばかっていわなかった? ちがうちがう。く、さ、ば、か、た、し、あれ? くさばかだー」
    そしてものすごく不自然で滑稽なポーズをとったまま、リコーダーをプップカプーと吹いて、さっそく僕を笑わそうとした。

    次の瞬間、草場くんはバランスを崩して倒れてしまった。ものすごい音がして草場くんの顔が木の椅子の縁に激突した。

    草場くんは立ち上がった。そして、軽くおじぎをするように30度ぐらいの傾斜で上半身を少し下に向けていた。頭と背筋は定規を当ててもぴったり隙間がないくらいに一直線だった。両手はまるで気をつけをしているみたいにまっすぐで躰にぴったりとつけられていた。右手はリコーダーの真中あたりをしっかりと握っている。

    草場くんはそのままの姿勢で微動だにしなかった。ただ、草場くんの右のまぶたの上あたりがぱっくりと割れていて、そこからボタボタと真っ赤な血が流れ落ちていた。その血は草場くんの微動だにしない見事なお辞儀姿勢によって、正確に木の椅子のど真ん中に落ちて溜まっていた。

    あれだけおしゃべりだった草場くんは何もしゃべらないでいた。無言でただただ自分の血がしたたり落ちて、椅子の真ん中にうまく溜まっていくのを瞬きもせずに見つめていた。

    僕は草場くんのその姿に見とれていたので、しばらくまわりの音が耳に入らないでいた。気づくと、まわりの男子はみんな「草場!だいじょうぶか!草場!だいじょうぶか!」と何度も何度も叫んでいた。

    やがて先生がやってきて、草場くんは抱きかかえられてどこかへ連れていかれた。その後もまわりは少しざわめいていたけれど、ちょっと経つとみんな普段と変わらない態度に戻った。

    「草場くん、大丈夫かな?」ととなりの子に聞いたら、「草場はおっちょこちょいだから、いつも大怪我をするんだ」と、前を見たままで答えた。

    それが僕が草場くんを初めて見たときのことだ。

    その後五年間に渡って、僕は何度も草場くんに大笑いさせられることになる。

    草場くんがクラス会の出し物で本格的なコントをやったときには笑いをとおりこして感動さえ覚えた。そのときの草場くんと伊藤くんのセリフは今でも耳に残っている。
    繰り返される草場くんのボケにとうとう堪忍袋の緒が切れた伊藤くんが「ふざけるな!」といって草場くんをどつくんだ。
    するとすかさず草場くんが「ふざけなきゃおもしろくない!」と返す。
    ここでクラス中がどっと笑いに包まれ、一瞬教室全体が揺れる。
    「ふざけなきゃおもしろくない!」といったときの草場くんの顔が真剣で、少しも笑っていないところがいっそうおかしかった。
    だけど、今僕の脳裏に残っている「ふざけなきゃおもしろくない!」といったときの草場くんの真剣な顔は、本当に心の底から真剣だと思わせるほどの真剣な顔だ。

    僕が中学校に入ってからまた別の土地へ引っ越してしまったあと、友だちから手紙がきた。草場くんの投稿が萩本欽一のラジオ番組「欽ドン!」で大賞をとったという知らせだった。実は僕はそのラジオ番組を聞いていたので、草場くんが大賞をとったことはリアルタイムで知っていた。僕はそのときも、微動だにしない姿勢で顔から血を落としていた草場くんを思い浮かべながら聞いていた。友だちの手紙によると、地元では同級生がみんなで草場くんを胴上げしたそうである。僕は転校ばかりしていたので別れには慣れていると思っていたのだけれど、その胴上げの話を読んだときは、僕がその輪の中にいなかったことが少しだけくやしくて、ちょっとだけ寂しくなった。
  • いまだに恨んでいる中学校体育教師Oの記憶

    僕が恨んでいる教師が一人だけいる。札幌に出てきたときの中学校の体育教師だ。僕はあまり人を恨む方ではない。教師で思いつくのは彼ひとりぐらいである。

    田舎から出てきた僕はとても不安だった。田舎の秀才とはいえ、札幌では全く通用しないのではないかと思った。だが、その不安はすぐ消えた。第一印象が田舎のさえない中学生という悪いものだったのが逆に功を奏して、僕は札幌の中学でも開校以来の秀才とまでもてはやされるようになった。

    数学や英語の教師が僕に一目置くようになった。意外だったのは、技術や音楽、美術といったどちらかというとマイナーな分野の教師まで僕をかわいがったことである。

    唯一の例外は、体育教師のOだった。いや、Oは一見して、むしろ他の教師よりも立派な人格を備えた人物に見えたし、最初は他の教師たちと同じように僕のことをかわいがっていると思った。だが、しばらくすると僕は、Oが外面だけを巧妙に細工して理想の教師像として作りあげられたレプリカントであることを見破るようになる。おそらくこのことを見破ったのは、学校内でも僕だけであったろう。僕だから見破ることができたのだ。

    この学校ではなわとびが盛んで、いつも体育の時間にはみんな二重跳びを何回できるか競っていた。僕はなわとび自体、あまりやったことがなかった。そんな僕が二重跳びなんていくら練習してもできるようになるわけがないと思った。どうして僕は二重跳びができないのだろう。僕は冷静に考えた。思い当たったのは、小学校のときにほとんど一年間休学して毎日のように受けた筋肉注射だった。僕の腕の付け根が他の子に比べて異様に細いのも、筋肉注射が悪いのだと僕は考えた。
    正直に話したほうがよいと決断して僕はOにこのことを話した。
    「長い間筋肉注射を受け続けたのです。三角筋拘縮っていうんでしょうか。だからなわとびが苦手なんです」
    「ほう、そうか。僕と同じだな」
    Oは「僕と同じ」といった。そのとき僕は、O先生も注射の後遺症で悩んでいる仲間だと思った。そんな障害を乗り越えて体育の教師にまでのぼりつめたのだ。やっぱりみんながいうようにすばらしい先生なんだ。何日間かはそう思っていた。

    だが冷静に考えて、そんなことがあるだろうか、と数日してから思い直した。Oは僕の直訴を、なわとびができないことの言い逃れと受け取ったのではないだろうか。「僕と同じ」というのは、僕に向けられた皮肉なんではないだろうか。しかし、教師たるものが、よりによって中学生に向かって分かりにくい皮肉で返すだろうか。僕はいろいろと悩んだ。

    Oが生徒たちに尊敬されていた理由のひとつが、結果を評価しないという彼のポリシーにあった。となりのクラスに校内で僕と成績を争う秀才のSがいたのだが、あいつは僕より運動が苦手だった。懸垂が一回もできないのだ。けれどもOは、一回もできなくてもSはすごく頑張ったといって、5をつけた。その話しがまるで伝説のようにもちはやされていたのである。懸垂は僕だって苦手で2回ぐらいしかできなかったのだけれど、僕もその話を聞いて努力しようと思い、歯を食いしばって何とか5回まで頑張ったのだ。しかし成績は2だった。僕はOの判断基準が全く理解できなかった。これなら懸垂ができた回数できっちり成績をつけてくれたほうがよっぽどフェアだと思った。頑張れば評価するといっておきながら、その頑張りは全く彼の主観で評価されるのだ。ひょっとすると、そのような僕の評価されたいという気持ちをOは見抜いていたのだろうか。もしそうだとしても、やはり独り善がりの主観的な評価であることに変わりはない。そのような理不尽な評価の仕方は神にしか許されていないはずである。

    こうして周囲のOへの評判とは裏腹に、僕のOへの不信感はだんだんと蓄積されていった。

    あるとき、僕のクラスの担任のK先生が教壇から僕たちのことをものすごく怒って、もうお前らのことは知らんといって教室を出ていってしまった。K先生は社会科の教師で、小太りでおっとりしているが何ごとに対しても太っ腹で動じない人だった。その恰幅の良さには大人にしか出せない迫力というものが備わっており、僕はOなんかよりもよっぽどK先生の方が大物だと思っていた。だけど他の同級生たちはK先生のことなんか何とも思っていなかったんじゃないかな。K先生の人格は、子どもには分かりにくい良さを備えていたのだと思う。

    K先生が怒るのだから僕らは何かよほどのことをしでかしたのだと思うのだけれど、K先生が何をwhat、どうしてwhy、そんなに怒ったのか、今となってはいくら考えても全く思い出せない。おそらく、僕には全く関心のないことだったからだろう。

    おそらく職員室で真っ赤な顔で怒っているK先生を見て、Oはびっくりしたのだろう。びっくりしたと同時に、ここは俺の出番だ、ことを穏便におさめられるのは俺しかいない、とOは思ったはずだ。無意識に。

    OはK先生と入れ替わりに、さっそうと僕たちの教室に入ってきた。担任でもなんでもないのに、それが自分の役割であることが当たり前でなんら疑いの余地がないという顔をして入ってきた。僕はOが入ってくるだろうなあと予想はしていた。予想していたのは僕だけじゃない。僕以外のクラスのみんなが予想していたと思う。そして彼らもまたOの行動を当たり前のものとして受け入れたのである。心の中でOを冷笑していたのはおそらく僕だけだったであろう。

    Oは、みんなで話しあって、これからどうすればよいのかを考え、それを模造紙に箇条書きにして教室の壁に貼ることを提案した。
    1)水道の水は出しっ放しにしない
    2)電気はこまめに消す



    もちろん、実際にそんなことを箇条書きにしたわけではない。繰り返すが、僕たちがどういう悪いことをしてK先生を怒らせたのか、どうしても思い出せないのだ。だから、改善策として何を箇条書きにしたのかも、具体的には全く覚えていない。ただ、なんだかこんなようなありきたりの戒めみたいものを箇条書きにしたことは間違いない。

    僕たちが模造紙に書いているあいだも、Oは努めて協力的であろうとした。いかにも僕たちの心が理解できているというような顔をしていた。まるでそうプログラミンされたレプリカントのように。
    たとえば僕らが「水道の水は出しっ放しにしない」と書けば、Oは「水の出しっ放しを見つけたらお互い注意し合う」というように改良案を僕らに提示した。つまり、その改良案は、一見すると僕らのアイデアをもう一歩進めて具体化したように見えるけれど、ようするに僕らのアイデアをただ少しこねくり回しただけのもので、僕は全く興味が持てなかった。興味を持ったならば少しぐらい覚えているはずだ。

    かくして、K先生はしばらくすると怒りがおさまり、教室に帰ってきて僕らの作った箇条書きを見て、なかなかいいな、と一言いって少し笑った。それからはいつものK先生にすっかりもどった。Oはとても得意気だったけど、人間の怒りなんてものは、たいていは時間さえ経てばある程度おさまるものなのになあと、そのとき僕は思った。

    学年全員を集めてのスキー授業で、Oは張り切っていた。生徒たちに普段は見せられない自分の素晴らしさを誇示できる格好のチャンスである。Oは学年全員を能力別にクラス分けするといった。もちろん他にもたくさん体育教師はいたのだが、そのクラス分けは自分一人だけでやるとOはいった。自分は一瞬でスキーの技術的な能力を見分けることができるからだそうである。

    山の上から生徒たちが次々と、自分の好きなスタイルで滑り降りてきた。下にいたOはそれを見ながら、生徒ひとりひとりをストックで指して、AとかBとか叫んでいた。

    僕はスキーがあまり好きじゃないし、得意でもなかったけど、Oのそばまで滑り降りたとき、Oは僕にストックの先を向けながら「A」と叫んだ。信じられなかった。そんなはずはないのだ。このとき、Oのクラス分けは口ほどにもない、テキトーなものであることを確信した。

    僕はBかCに行こうかと悩んだ。だけどOは僕をAクラスに振り分けたことを覚えているかもしれない。覚えているとは思えなかったけど、もし覚えていて、なんでそんな勝手なことをするんだと叱られることを想像すると恐かった。だからしょうがないとあきらめて、Aクラスの列になるべく目立たないようにして並んだ。

    そして、Aクラスの担当はOだった。僕はしまったと思った。やはりBかCに行けばよかった。Aの奴らが号令とともに次々とスタートする。さすがAクラスのやつらだ。華麗なウェーデルンで次々と滑り降りていく。

    僕の番がきた。なるべく僕だということが分からないように、毛糸の帽子を深くかぶってゴーグルをかけ、顔を下に向けて滑った。Oのそばまできたとき、Oの怒号が聞こえた。
    「おい、かっこつけるな!」
    Oはわざわざ僕のところまで近寄ってきて、僕の胸ぐらをつかんだ。
    「なんだ、かっこつけやがって、下を向いて」
    顔を見られまいと下を向いたのがまずかったようだ。かっこつけて上手くみせようとしたと思われたらしかった。それに、Oは僕だということを最初からはっきりと認識していたようだ。僕に新たな疑念が生まれた。Oはわざと僕をAクラスに振り分けたんじゃないのかと。そうに違いない。いったい僕の何がそんなに気にくわないのだろう。僕はかまわないで欲しかった。どうせもうすぐ卒業して新たな高校生活が始まるのだ。そのときがほんとうの僕のスタートなんだ。あんたが今、僕にどのように関わろうが、僕の人生にとってはどうでもいいことなんだ。

    ある日、校内放送でOに対するインタビューが放送された。お昼休みの校内放送にありがちな、教師に対するインタビュー番組である。Oは、いかにもまじめで熱心で生徒から人気のある教師のようなトーンの声で答えていた。

    尊敬する人は? と聞かれて、Oは「レーニンですね」といった。僕は全く知らなかったのだけど、それは生徒のあいだでは有名な話らしかった。「な、あの先生はレーニンが好きなんだよ」と同級生が分かったような顔をして腕組みしながらいった。ただ、生徒たちはレーニンがどういう人物かということをよく分かっていなかった。僕は「ほんとはスターリンじゃねーのか?」とつぶやいてみたけど、誰も反応しなかった。

    ベルリンの壁を砕くが如く、僕もOに一発何かをお見舞いしてから卒業すればよかっただろうか。いや、そんなことにさえ値する人物とは思えなかった。本当にもうそれ以上関わりたくなかった。それにあの頃、将来ベルリンの壁が崩壊するなんて夢にも思わなかったはずだ。ベルリンに壁が存在することすら知らなかったかもしれない。そんなこと、どっちだったかよく覚えていない。ただOの偉そうで不敵な笑みだけが僕の脳裏に貼りついている。
  • いまだに恨んでいる知らないおっさんの記憶

    子どもの頃、大人のくせになんて理不尽なやつなんだ、と思ったことが何度かある。だけど、子どもだから何も言い返せない。

    中学三年生のとき、近所でけたたましくサイレンが鳴っていた。受験勉強に飽きていた僕は部屋を飛び出して消防車が集まっているあたりまで走って見にいった。

    だけど、煙も炎も出ていないし、けが人もいないようだ。何が起きているのかはよくわからなかった。

    うしろから酒臭そうなおっさんが寄ってきて、「ボクちゃん、何があったんだね」と聞いた。「よく分かりません」と答えると、そのおっさんは「ふーん。まあどうでもいいけど、ボクちゃんは頭の良いほうじゃないだろ、ヘヘ、おじさんはそういうことすぐ分かるんだ」といった。

    僕の「よく分かりません」という答えが悪いのか、それとも野次馬になっていることを批判しているのか、よく分からなかったが、今になってみると後者だったのではないかという気がする。

    僕は田舎の中学校から転校してきたばっかりだった。田舎ではずっと一番だったけれど、大都会に転校してきたので、きっと僕ぐらいの人はうようよいて、僕は平均的なところに落ち着くのだろうと思っていた。

    ところが予想に反して、僕は転校先の中学校で、開学始まって依頼の秀才みたいなかんじで迎えられた。授業もむしろ田舎の方がすすんでいたぐらいである。

    僕から大都会に対する不安が消え去り、ちょうど天狗になり始めたころでもあった。僕が頭の良いほうじゃないって? とんでもないことをいうおっさんだ。人をちらっと見ただけで。僕は来年には、かの有名な進学校に進んでいるに違いないのに。まったく人を見る目がないおっさんだ。

    僕が初めて大人を軽蔑した瞬間だった。

    その後、かの有名な進学校にすすんだ僕は、多くの秀才たちに埋もれて、文字通り普通の人になった。
  • イトコの子どもの父親に怒られた記憶

    「じゃあ、なんかお題を出すから漫才がしたい」小学校二年生のヨシタカくんがいった。
    「いいよー、お題はなんにする?」
    「じゃあ、遊園地!」
    「オッケーはじめるよ。遊園地は楽しいでんなー、ヨシタカくんはどんな乗り物が好きですか」
    「メリーゴーランド」
    「メリーゴーランドいいですなあ。お馬に乗って上がったり下がったり。他にはどんなのがよろしいですか」
    「コーヒーカップ」
    「コーヒーカップええですなー。ハンドル回してぐーるぐる回転してなー」
    「ヨシタカくん、他に何かええのがあるかいな?」
    「えーと、えーとえと……」
    「おいヨシタカ、おまえこのヘンでぼけてくれないと、おじさんはいつまでたっても、それちゃいまんがなーってつっこまれへんやないか。はよなんかボケなされ」
    「うーんと、ジェットコースター」
    「はいはいジェットコースター、こわいでんなーって、おい、ボケてないじゃん」
    「ぎゃはははは」ついにヨシタカは笑いのスイッチが入ってしまったようだ。こんなことでスイッチがオンになるのである。
    「何が面白いねん。はやくおじさんはちゃいまんがなーっていいたいんだから。はやくしてやもう」
    それを見ていたエリナは腹が痛すぎるぐらい笑っている。
    「だめだあ。おじさんとヨシタカ、おもしろすぎるぅぅぅぅぅぅ」

    このあたりで、うるさくするな、いいかげんにしろとエリナとヨシタカの父親からお叱りが入った。いっしょのレベルで騒いでいる僕も叱責の対象であるような気がしないでもない。

    全く小学校低学年を笑わすのはちょろい。
    そこへ行くと大人のなんと難しいことよ。
  • イトコの子どもと遊んでよみがえるそのイトコの記憶

    今日は従姉の子どもと遊んだ。小学校二年生の女の子のエリナだ。

    エリナの母、すなわち僕の従姉は僕と同い年で、やっぱり小学校二年生ぐらいのときにはよく一緒に遊んだものだ。でもあまり覚えていない。

    「ねねね、じゃあクイズに答えて」エリナは、従姉が小学校二年生だったときとおんなじ顔で僕に命令する。僕はそのとき、そういえばエリナの母親も小学校二年生ぐらいのときには、よく僕に命令したなあ、と思い出していた。

    「ねねね、じゃあ飼い犬ごっこするから、犬になって」
    「え? 僕が犬に?」
    「なんでしゃべるのよ。犬はしゃべらないのよ」
    僕は仕方なく四つん這いになった。
    「わんわんわん」
    「まあ、かわいい犬、名前はなんていうのかしら?」
    「な、名前?」
    「犬はしゃべらないんだってば」
    「あ、そうか。わ、わんわん」
    「ねえ、なんて名前?」
    小学生なりにも意地悪な女だと思った。
    「わ、わんわん」
    「じゃあねえ」と彼女は腕組みをして考えだした。「ジョンでしょ」
    「わんわん」
    「ジョンっていうのね?」
    「わわわわわんわん!」
    「ジョン!ジョン!」
    「わん!わん!」
    「ジョン、おすわり!」
    「くぅーん」僕はおすわりをした。
    「ねえ、今度は乗ってもいい?」
    「わん?」
    彼女は四つん這いの僕にまたがった。
    「あっちへ連れてって」
    「わおーん……」

    「いつも首を傾けている虫はなに?」と、エリナはクイズを出題した。
    「え?」僕はおよそ四十年前の記憶をたどるのに没頭していたのでエリナに注意を向けていなかった。
    「おじさん、早く答えてよ」
    「あー、わりいわりい。質問なんだっけ?」
    「だからあ、いつも首を傾けている虫!」
    「あり?」と、僕は首を傾けながら言った。
    「ぎゃはははは」

    「ねえ、飼い犬ごっこしたの覚えてる?」と、僕はエリナの母親に聞いた。
    「覚えてない」
    二時間のあいだ、僕はずっと子どもたちと話しっぱなしで、母親との会話はこれだけだった。

    家に帰ってきてから、僕はカミさんに話した。
    エリナと話しているとさ、時が40年ぐらい戻って、小学生のエリナの母親と話している感じがするね。
    そうして僕はまた、あの忌まわしい飼い犬ごっこのことを思い出した。
    でも、あれはけっこうあとから僕の脚色が入った記憶だったのかもしれない。
    つまり、極端にいえば後からインプットされた記憶だ。
    ブレードランナーに出てくるレプリカントたちのようにね。
    カミさんは、ブレードランナーってハリソン・フォードがなんか気持ち悪い人たちを退治していくってだけの映画じゃないの?といった。
    僕は反論したかったけど、そういわれればそうかもしれないと思って黙っていた。
  • 髪の毛が入っていた記憶

    有名なラーメン屋に夫婦で入りラーメンを食べていたときの話。
    三分の一ぐらい食べ終わったところで、カミさんがラーメンの中から髪の毛を一本見つけた。
    「ショック、髪の毛見つけちゃった……」
    「言ったら?」
    「言ってもいいかな」
    食べ始めた後だったし、カミさんはその髪の毛をすでに外に出してしまっていたので、店員に信じてもらえるかどうか不安だったのだ。

    しかしそれは余計な心配だった。店員はすいませんすいませんと詫び続けながらカミさんのラーメンを持ち去った。すぐに代わりを作りますから、と言って。そして十分ぐらいすると、またすいませんすいませんと詫びながら、新たなラーメンを持ってきた。

    結局、カミさんは一杯と三分の一のラーメンを食べたことになった。しかも会計のとき、ラーメン屋の主人は、代金を受取ることを強く拒んだ。すなわちカミさんは、一杯と三分の一のラーメンをタダで食べたことになった。その三分の一には髪の毛が入っていたわけだけど。さすが有名店だ。いや、これぐらい普通のことなんだろうか。よく分からない。

    どうしてこのことを今思い出したかというと、さっきブックオフで買ってきた文庫本を読んでいたら、途中に髪の毛が挟まっていたからだ。すいませーん、髪の毛挟まってました、っていってブックオフに持ってったら、新しいのを一冊くれて、お代は返しますっていってくれないかな。いってくれないよね。
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