秘密のメモリーメモルノフ、ドゥワー♫

  • 踊るショウジの記憶

    ショウジは少し頭が弱く、背の低い子だった。
    床屋にいく金もないので母親が髪を切るのだが、いつも下手くそなおかっぱ頭だった。人より勝っている点といえば、眉毛が太くて濃いことぐらいだった。

    ショウジはいつもいじめられていた。
    何か新しいひっかけを思いつくと、みんなはまずショウジで試した。
    「ショウジ、ねえ、ちゃんと風呂入ってるか?」
    ショウジはにこにこしながら「うん」と言った。
    「うわあ、ショウジ、姉ちゃんと風呂入ってるんだってよ。やらしい」
    事実、ショウジには姉さんがいた。姉さんはまじめでしっかりした娘だった。

    ショウジはいじめられても泣かなかった。あまりにも無知で、泣くことすら知らないんじゃないかと思えるほど泣かなかった。どんなに仲間はずれにしても、気がつくといつの間にか付いてきていて、静かににこにこしながらみんなの話を聞いていた。

    だから、口には出さなかったけど、心の底ではみんなショウジが好きだった。

    音楽の授業で「踊る少女」を歌わさせられた。
    誰かが「踊るショウジ」と言った。「踊るショウジ」は伝言ゲームの波紋のように教室全体に広がっていった。みんな笑いをこらえるのに必死になった。
    「朝の光を浴びるショウジ~」
    ひぃー、だめだ、踊るショウジ、おもしろすぎる、腹痛い。
    もうみんな授業中だってことも構わず笑い始めた。みんなショウジの方を見ていた。ショウジも顔をくちゃくちゃにして笑っていた。笑われてるのは自分なのに。ほんと馬鹿なショウジ。

    バンッ

    音楽教師のOが楽譜を叩きつけた。
    「あなたたち、どうしてショウジ君のことを馬鹿にするの?」
    Oは大学を出たばかりの、新任の女性教師だった。中学生男子にとって、白いブラウスから透けるブラジャーの肩紐はなまめかしすぎる。だが、ときどきこうして感情的な怒りを爆発させることがあるので、男子生徒に人気はなかった。Oのことが好きだとでも言おうものなら、なんて趣味が悪いと罵られて仲間はずれにされるおそれがあった。

    「すいません。もうちゃんと歌いますから」
    中学生は永遠にふざけ続けるということはしなかった。このあたりが小学生と異なる成長の証しである。

    「朝の光を浴びる少女~」
    僕たちはショウジと歌いそうになるところを必死にこらえ、現実ではなんとか少女と歌った。でも少女をショウジに変えるギャグは強烈過ぎたので、僕たちの頭の中ではまだショウジが鳴り響いていた。懸命にショウジを少女に逆変換しながら歌っていたのである。

    しかし、ショウジが耳にこびりついてしまったのは僕たちだけではなかった。音楽教師Oの耳にも、ショウジはしっかりと根をはやして居座ってしまったのである。

    「ちょっと! 誰なの、まだショウジって歌ってるのは!」
    誰も返事はしなかった。みんな互いに顔を見合わせて、顔で話していた。
    「誰? 正直にいいなさい!」
    どうやら僕たちの中には、まだショウジと歌っているしつこい奴はもういないようだった。僕らは教師よりも仲間を信じた。Oの空耳に違いない。僕らはそう確信した。まあ無理もない。それだけショウジというギャグは強烈だったのだ。

    「ちょっと! 誰なの! まだショウジって歌ってる!」
    もう僕らは誰も笑っていなかった。Oのあまりの大人気なさにうんざりし始めていたのである。

    「誰も歌ってないって言ってるべや!」
    ついに堪忍袋の緒が切れたマサオ君が立ち上がった。
    「俺たちが誰も歌ってないって言ってるんだから、誰も歌っていないんだよ。あんた俺たちを信用できないのか!」
    「違うわ! 確かにショウジって聞こえたのよ!」
    「あんたの耳がおかしいんだよ。俺たちを信用しようって気なんか最初からないんだ、あんたは」

    Oは涙を浮かべて教室を出ていった。授業放棄である。後味の悪い結末となってしまった。ショウジも立派な眉毛を逆ハの字にして深刻な表情を作っていた。わけなんか分かっていないくせに。

    結局、男子全員が職員室に呼ばれた。担任のオダミが僕たちに説教し始めた。オダミはオダミノルというフルネームの初老の男性教諭だった。他にオダという苗字の先生がいたわけではなかったが、僕らは何となくオダミって呼んでた。マサオ君はオダミにも、たしかに最初はふざけてショウジと歌ったけど、それは最初だけで次からはまじめに歌ったのに、それなのにOが勝手に聞き間違えて勝手に怒りだしたのだと、僕たちが冤罪であることを切々と訴えた。となりの机ではOがすっかり涙の乾いた澄ました顔をして、こちらを見て見ぬふりをしながら自分の事務仕事に没頭していた。いや、没頭しているふりをしているに違いなかった。

    判決は職員室で何時間だかの正座だった。

    そのとき僕らはもう巨大な権力の前に屈するしかなかった。だが、これは冤罪である。したがって僕らは、最後の意地みたいなものだけはなんとか守りたかった。だから、逆にみんなは自分から進んでこの刑罰を受ける気になり、そして僕らは自分たちの一致団結ぶりに陶酔していたのだ。

    僕も、よっしゃ、やってやらあ!って勢いで列に並んで正座をした。ところが、オダミは僕を排除した。
    「あ、お前とオーミネは、生徒会の会議があるからそっちに行け。正座には加わらなくていい」
    あ、いや、そういうワケにはいかねんだよ先生、と僕とオーミネはうろたえた。
    「だめだ。お前らは会議に行け」
    そして僕とオーミネは複雑な心境で恩赦を受け入れるはめになった。

    ショウジは、どうして自分が正座の列に加わることができないのか理解できないので、不思議な顔をしていた。

    会議が終わったので、早く正座に加わらなくちゃと急いで職員室に戻ってきた僕とオーミネ。でも、もう遅かった。正座の刑はすでに執行され、もう終わっていたのだ。
    みんなが痺れて思うように動かない足を引きずりながら職員室から次々と出てきた。
    「痛ってぇ……。ふん、いいよなあエリート様は」
    みんな、僕とオーミネの顔を見て一言ずつ嫌味を言いながら出てくる。僕とオーミネは裏切り者になった。一瞬、とんでもないことをしてしまったような気がした。

    だけど、僕とオーミネは意外に平気だった。
    「けっ、お前ら変な歩き方!」
    僕とオーミネは、奴らに向かって大笑いしてやった。正座ぐらいでまったくだらしのない奴らだよ、な?っとショウジの顔を見ると、ショウジも顔をくちゃくちゃにして笑っていた。
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