僕が恨んでいる教師が一人だけいる。札幌に出てきたときの中学校の体育教師だ。僕はあまり人を恨む方ではない。教師で思いつくのは彼ひとりぐらいである。
田舎から出てきた僕はとても不安だった。田舎の秀才とはいえ、札幌では全く通用しないのではないかと思った。だが、その不安はすぐ消えた。第一印象が田舎のさえない中学生という悪いものだったのが逆に功を奏して、僕は札幌の中学でも開校以来の秀才とまでもてはやされるようになった。
数学や英語の教師が僕に一目置くようになった。意外だったのは、技術や音楽、美術といったどちらかというとマイナーな分野の教師まで僕をかわいがったことである。
唯一の例外は、体育教師のOだった。いや、Oは一見して、むしろ他の教師よりも立派な人格を備えた人物に見えたし、最初は他の教師たちと同じように僕のことをかわいがっていると思った。だが、しばらくすると僕は、Oが外面だけを巧妙に細工して理想の教師像として作りあげられたレプリカントであることを見破るようになる。おそらくこのことを見破ったのは、学校内でも僕だけであったろう。僕だから見破ることができたのだ。
この学校ではなわとびが盛んで、いつも体育の時間にはみんな二重跳びを何回できるか競っていた。僕はなわとび自体、あまりやったことがなかった。そんな僕が二重跳びなんていくら練習してもできるようになるわけがないと思った。どうして僕は二重跳びができないのだろう。僕は冷静に考えた。思い当たったのは、小学校のときにほとんど一年間休学して毎日のように受けた筋肉注射だった。僕の腕の付け根が他の子に比べて異様に細いのも、筋肉注射が悪いのだと僕は考えた。
正直に話したほうがよいと決断して僕はOにこのことを話した。
「長い間筋肉注射を受け続けたのです。三角筋拘縮っていうんでしょうか。だからなわとびが苦手なんです」
「ほう、そうか。僕と同じだな」
Oは「僕と同じ」といった。そのとき僕は、O先生も注射の後遺症で悩んでいる仲間だと思った。そんな障害を乗り越えて体育の教師にまでのぼりつめたのだ。やっぱりみんながいうようにすばらしい先生なんだ。何日間かはそう思っていた。
だが冷静に考えて、そんなことがあるだろうか、と数日してから思い直した。Oは僕の直訴を、なわとびができないことの言い逃れと受け取ったのではないだろうか。「僕と同じ」というのは、僕に向けられた皮肉なんではないだろうか。しかし、教師たるものが、よりによって中学生に向かって分かりにくい皮肉で返すだろうか。僕はいろいろと悩んだ。
Oが生徒たちに尊敬されていた理由のひとつが、結果を評価しないという彼のポリシーにあった。となりのクラスに校内で僕と成績を争う秀才のSがいたのだが、あいつは僕より運動が苦手だった。懸垂が一回もできないのだ。けれどもOは、一回もできなくてもSはすごく頑張ったといって、5をつけた。その話しがまるで伝説のようにもちはやされていたのである。懸垂は僕だって苦手で2回ぐらいしかできなかったのだけれど、僕もその話を聞いて努力しようと思い、歯を食いしばって何とか5回まで頑張ったのだ。しかし成績は2だった。僕はOの判断基準が全く理解できなかった。これなら懸垂ができた回数できっちり成績をつけてくれたほうがよっぽどフェアだと思った。頑張れば評価するといっておきながら、その頑張りは全く彼の主観で評価されるのだ。ひょっとすると、そのような僕の評価されたいという気持ちをOは見抜いていたのだろうか。もしそうだとしても、やはり独り善がりの主観的な評価であることに変わりはない。そのような理不尽な評価の仕方は神にしか許されていないはずである。
こうして周囲のOへの評判とは裏腹に、僕のOへの不信感はだんだんと蓄積されていった。
あるとき、僕のクラスの担任のK先生が教壇から僕たちのことをものすごく怒って、もうお前らのことは知らんといって教室を出ていってしまった。K先生は社会科の教師で、小太りでおっとりしているが何ごとに対しても太っ腹で動じない人だった。その恰幅の良さには大人にしか出せない迫力というものが備わっており、僕はOなんかよりもよっぽどK先生の方が大物だと思っていた。だけど他の同級生たちはK先生のことなんか何とも思っていなかったんじゃないかな。K先生の人格は、子どもには分かりにくい良さを備えていたのだと思う。
K先生が怒るのだから僕らは何かよほどのことをしでかしたのだと思うのだけれど、K先生が何をwhat、どうしてwhy、そんなに怒ったのか、今となってはいくら考えても全く思い出せない。おそらく、僕には全く関心のないことだったからだろう。
おそらく職員室で真っ赤な顔で怒っているK先生を見て、Oはびっくりしたのだろう。びっくりしたと同時に、ここは俺の出番だ、ことを穏便におさめられるのは俺しかいない、とOは思ったはずだ。無意識に。
OはK先生と入れ替わりに、さっそうと僕たちの教室に入ってきた。担任でもなんでもないのに、それが自分の役割であることが当たり前でなんら疑いの余地がないという顔をして入ってきた。僕はOが入ってくるだろうなあと予想はしていた。予想していたのは僕だけじゃない。僕以外のクラスのみんなが予想していたと思う。そして彼らもまたOの行動を当たり前のものとして受け入れたのである。心の中でOを冷笑していたのはおそらく僕だけだったであろう。
Oは、みんなで話しあって、これからどうすればよいのかを考え、それを模造紙に箇条書きにして教室の壁に貼ることを提案した。
1)水道の水は出しっ放しにしない
2)電気はこまめに消す
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もちろん、実際にそんなことを箇条書きにしたわけではない。繰り返すが、僕たちがどういう悪いことをしてK先生を怒らせたのか、どうしても思い出せないのだ。だから、改善策として何を箇条書きにしたのかも、具体的には全く覚えていない。ただ、なんだかこんなようなありきたりの戒めみたいものを箇条書きにしたことは間違いない。
僕たちが模造紙に書いているあいだも、Oは努めて協力的であろうとした。いかにも僕たちの心が理解できているというような顔をしていた。まるでそうプログラミンされたレプリカントのように。
たとえば僕らが「水道の水は出しっ放しにしない」と書けば、Oは「水の出しっ放しを見つけたらお互い注意し合う」というように改良案を僕らに提示した。つまり、その改良案は、一見すると僕らのアイデアをもう一歩進めて具体化したように見えるけれど、ようするに僕らのアイデアをただ少しこねくり回しただけのもので、僕は全く興味が持てなかった。興味を持ったならば少しぐらい覚えているはずだ。
かくして、K先生はしばらくすると怒りがおさまり、教室に帰ってきて僕らの作った箇条書きを見て、なかなかいいな、と一言いって少し笑った。それからはいつものK先生にすっかりもどった。Oはとても得意気だったけど、人間の怒りなんてものは、たいていは時間さえ経てばある程度おさまるものなのになあと、そのとき僕は思った。
学年全員を集めてのスキー授業で、Oは張り切っていた。生徒たちに普段は見せられない自分の素晴らしさを誇示できる格好のチャンスである。Oは学年全員を能力別にクラス分けするといった。もちろん他にもたくさん体育教師はいたのだが、そのクラス分けは自分一人だけでやるとOはいった。自分は一瞬でスキーの技術的な能力を見分けることができるからだそうである。
山の上から生徒たちが次々と、自分の好きなスタイルで滑り降りてきた。下にいたOはそれを見ながら、生徒ひとりひとりをストックで指して、AとかBとか叫んでいた。
僕はスキーがあまり好きじゃないし、得意でもなかったけど、Oのそばまで滑り降りたとき、Oは僕にストックの先を向けながら「A」と叫んだ。信じられなかった。そんなはずはないのだ。このとき、Oのクラス分けは口ほどにもない、テキトーなものであることを確信した。
僕はBかCに行こうかと悩んだ。だけどOは僕をAクラスに振り分けたことを覚えているかもしれない。覚えているとは思えなかったけど、もし覚えていて、なんでそんな勝手なことをするんだと叱られることを想像すると恐かった。だからしょうがないとあきらめて、Aクラスの列になるべく目立たないようにして並んだ。
そして、Aクラスの担当はOだった。僕はしまったと思った。やはりBかCに行けばよかった。Aの奴らが号令とともに次々とスタートする。さすがAクラスのやつらだ。華麗なウェーデルンで次々と滑り降りていく。
僕の番がきた。なるべく僕だということが分からないように、毛糸の帽子を深くかぶってゴーグルをかけ、顔を下に向けて滑った。Oのそばまできたとき、Oの怒号が聞こえた。
「おい、かっこつけるな!」
Oはわざわざ僕のところまで近寄ってきて、僕の胸ぐらをつかんだ。
「なんだ、かっこつけやがって、下を向いて」
顔を見られまいと下を向いたのがまずかったようだ。かっこつけて上手くみせようとしたと思われたらしかった。それに、Oは僕だということを最初からはっきりと認識していたようだ。僕に新たな疑念が生まれた。Oはわざと僕をAクラスに振り分けたんじゃないのかと。そうに違いない。いったい僕の何がそんなに気にくわないのだろう。僕はかまわないで欲しかった。どうせもうすぐ卒業して新たな高校生活が始まるのだ。そのときがほんとうの僕のスタートなんだ。あんたが今、僕にどのように関わろうが、僕の人生にとってはどうでもいいことなんだ。
ある日、校内放送でOに対するインタビューが放送された。お昼休みの校内放送にありがちな、教師に対するインタビュー番組である。Oは、いかにもまじめで熱心で生徒から人気のある教師のようなトーンの声で答えていた。
尊敬する人は? と聞かれて、Oは「レーニンですね」といった。僕は全く知らなかったのだけど、それは生徒のあいだでは有名な話らしかった。「な、あの先生はレーニンが好きなんだよ」と同級生が分かったような顔をして腕組みしながらいった。ただ、生徒たちはレーニンがどういう人物かということをよく分かっていなかった。僕は「ほんとはスターリンじゃねーのか?」とつぶやいてみたけど、誰も反応しなかった。
ベルリンの壁を砕くが如く、僕もOに一発何かをお見舞いしてから卒業すればよかっただろうか。いや、そんなことにさえ値する人物とは思えなかった。本当にもうそれ以上関わりたくなかった。それにあの頃、将来ベルリンの壁が崩壊するなんて夢にも思わなかったはずだ。ベルリンに壁が存在することすら知らなかったかもしれない。そんなこと、どっちだったかよく覚えていない。ただOの偉そうで不敵な笑みだけが僕の脳裏に貼りついている。