秘密のメモリーメモルノフ、ドゥワー♫

  • 蘇生された記憶

    俺ひょっとしたら一度死にかけてさ、心肺蘇生かなんかされて生き返ったことがあるんじゃないかって心配してるんだ。もちろんそんなこと覚えちゃいないから勘違いってゆーか思い込みってゆーか考えすぎだよな。

    でもこの先死にかけることがあった日にゃあ、蘇生なんて余計なことはしてもらいたくないね。そんときゃあ潔く死なせて欲しいよ、まじで。極端な話、救急とか移植とかこの世にいらねえと思ってるよ。人間なんてのはだなあ、いい機会だ、この際死んでおこうとかいってさっさと死ぬのが一番いかしてんのよ。

    あ、別に怒ったっていいよ。怒るのはあんたの勝手だし。それにあんたたちはあんたたちで、そうやって命にしがみついていつまでも生きてればいいよ、俺はぜんぜん構わないんだからね。だから勝手に頑張ってておくれよ。ただし俺だけは勝手に助けないように気をつけてくれよ。

    たとえばさ、こんなに頼んでんのに、あんたが勝手に俺の命を助けたとするだろ。そしたら俺はあんたになんていうと思う? 何で助けたって怒ると思うかい? おいおい、俺はそこまでひとでなしじゃないぜ。

    たぶん、どうもありがとう、感謝の言葉も見つかりません、って泣きながら言うぜ。自分のことだから分かるのさ。たぶんじゃなくて間違いねえよ。そしてさ、せっかく助けてもらった命だから、これから大事にします、一生懸命生きますとか言うんだ。

    そう、きっと俺はそんなポジティブで感動的な人間に生まれ変わっちまうに違いねえんだ、蘇生なんかされたらよ。

    俺はよお、そんなポジティブで感動的な俺なんか、大っキライなんだよ。そんな俺はもう俺じゃあないんだ。ぜったいそんなふうに生まれ変わりたくない。

    だから助けないでくれっていってんだ。分かるだろ? 

  • 膝蹴りの記憶

    ああ! 膝蹴り! 膝蹴り!

    ほんとうの膝蹴りがしたい!
    みぞおちの奥にくいこんで
    背中から突き抜けてしまうような
    あの鋭い膝蹴りをもう一度!

    ああ! 膝蹴り! 膝蹴り!

    ほんとうの膝蹴りのために
    邪魔な私の一物を
    今捨ててしまっても構わない
    あの鋭い膝蹴りをもう一度!

    いや、構う! 構う! 構う!
    そうでなくても無くなりそうな私の一物!

    ああ! 膝蹴り! 膝蹴り!

    ほんとうの膝蹴りがしたい!
    ほんとうの膝蹴りの正体とは
    実は私の一物のメタファーではないのか?
    あの鋭い膝蹴りをもう一度!

    ああ! 膝蹴り! 膝蹴り!
    ほんとうの膝蹴りがしたい!
  • ペニーレインの記憶

    ペニレーィン ゼアリズバーバーショインフォトグラフ
    エビヘッ ディシャザプレージャトゥノウ
    アノーザピープザッ カマンゴー
    ストップンセイヘロー

    オンザコーナーリズバンカーウィズモラカー
    エビチールド ラバヒム ビハインヒズバッ
    アンザバンカーネバウェアーズァマック
    インザポーリレン ヴェリストレィンジ

    ペニレーン ゼリズマ イー アディンマ アーィー
    ゼー ビニーザブー サババーンスカーィ
    アイ シ アン ミーン ホワイル バッ!
  • おいには勝てないの記憶

    「おい」
    「なに?」
    「あ、振り向いた。これで『呼びかけられて振り向いたら負けゲーム』はオレの5連勝だな」
    「しまった。気をつけていたつもりだったんだけどなあ」
    「やっぱり『おい』には勝てないだろ」
    「やっぱり『おい』には勝てないねえ」
  • 弁当の記憶

    こどもの頃お弁当をあけたらカメの足がたくさん入っていました。おれの飼ってるカメをおかずにするなんて、なんて残酷な母親なんだろう。ぼくは怒りました。でも帰ってきたらぼくのカメは無事でした。カメの足に似たおかずは、ヒジキの煮物というものだと、そのとき初めて知りました。
  • オヤジの記憶

    オヤジの記憶といっても、相当ボケて車椅子生活ではあるがまだ生きてる。最近は食べ物の飲み込みが悪くていつも口の中いっぱいに食物をためている。

    家族みんなでBShiのギター番組を見てたら、でかいギター弾いてる外人のじーさんが出てきて、これ誰だろねーとか言ってた。そしたらオヤジが突然口の中の食物をだらだらとたらしながら、「ナルシソ・イエペス」と叫んだので、みんな唖然とした。僕らは不思議そうにオヤジの顔を見た。テレビの音以外は静寂だった。自分を見ている家族を、お前ら分かっちゃいないなあというような顔つきで見返したあと、オヤジはまた口から食物をたらしながら、「禁じられた遊びだよ」と言った。

    こないだ咳き込んで熱をだして寝込んだとき、「もうお迎えがくるのかもしれん」なんて言ったけど、診察したところどうみてもたいしたことがなかったので、ただの風邪だ、寝こんでばかりいたら本当に寝たきりになる、さっさと飯を食えといって無理矢理起こして車椅子にのせて茶の間に連れてきた。

    「お迎えがくるとか言ってたけど、そろそろあっちの世界へ行きたいのか」と聞いてみたら、驚いたような顔をこちらへ向けて「まだ未練がある」とはっきり断言した。自分で歩くこともできず、本も読めなくなり、最近は自分で飯を食うこともできないくせに、いったいこの世の何に未練があるのが、死ぬ前にやり残した何をやりたいのかさっぱり理解できなかったが、そのあまりにも力強い断言は揺るぎのない信念に基づいているように思えた。

    「未練がある。大いにある。あるなんてもんじゃないぐらいある」とオヤジはさらに繰り返して強調した。かつて読書家だったオヤジらしく、妙に文学的な強調だった。

    「そんなに未練があるのなら、まずその目の前にあるテルミールを飲み干せや」と僕は言った。飯をあまり食わなくなったオヤジにとってテルミールは重要な栄養源だった。オヤジは気が進まないような素振りで仕方なくテルミールの入ったカップを口元にもっていったが、ちょろっと舐めるとすぐにテーブルに戻した。

    「なんだよ、全部飲めよ。飲まなきゃお迎えが来るぞ」と僕が怒ると、オヤジはテルミールという栄養食の味がいかに不味いのかについて講釈し始めた。「だめだ。これは薬なんだよオヤジ、良薬口に苦しだろ」と説得したが、やっぱり要らないという。僕がもう一言何か言って説得しようとしたとき、痺れを切らしたオフクロが親父の口を開けて、残ったテルミールを全部オヤジの口の中に流しこんでしまった。

    オヤジはいかにも不味いと言わんばかりに顔をしかめながら、オフクロがちょっと席を外すと、「あいつはちょっと頭がおかしい。そうは思わんか」と僕に聞いた。

    今のところ、こうしてオヤジのこの世への未練は何とか保たれているのである。
  • シャープペンシル人間の記憶

    私が初めてシャープペンシル人間を見たのは、彼を懲罰房に移すよう上司に命令されたときだった。

    独房のドアを開けると、シャープペンシル人間は便器のふたを開けてうんこをしていた。中に入って彼の襟首をつかみ、ひっぱり出そうとしたが、彼はうんこが出かかったままのようで、無言で激しく抵抗した。しょうがないので僕は彼の頭をたたいてみた。

    彼は痛そうな顔をしながら、両手で自分の頭をかばおうとした。でも彼の手は短かすぎて頭の先までは届かなかった。いや、手が短いというよりも、頭が異常に長いといったほうが正確かもしれない。彼の頭はたたくたびにカチカチという音がした。そしてそのたびに彼の肛門から硬くて細長いうんこがずんずんと飛び出した。

    カチカチ ずんずん カチカチ ずんずん

    ついに彼の硬くて長いうんこの先が便器の底に到達した。それでも私はかまわず彼の頭をたたき続けたものだから、こんどは彼の躰がうんこによって持ち上げられてしまった。彼のお尻は便座を離れ、彼の躰はうんこの姿勢を保ったまま宙に浮いた。

    それでも私は叩き続けることをやめなかった。するとついに長いうんこは出きってしまい、それから彼の躰はうんこの姿勢のまま傾いて、どすんと床に落ちた。

    私はやれやれといって彼を引きずりだそうとしたが、彼はまだ抵抗していた。そのとき私は初めて初めて彼の声を聞いた。

    「尻ぐらい拭かせてくれないか」

  • 卵内のヒナの記憶

    手乗りの鳥を次々育てる祖父がうらやましかった。

    小学生のぼくは、鳥の繁殖と手乗りの育て方についての本を、実に小学生らしい執拗さをもって次から次へと読みふけった。

    祖父からもらった一羽の桜文鳥を鳥屋のオヤジのところに持っていって、雌雄の鑑別をしてもらった。桜文鳥の雌雄を見分けるのはとても難しいことだとオヤジは言った。それは、あとで間違っていた場合の前もっての言い訳にも聞こえたし、そんな難しいことを俺はできるんだぞという自慢にも聞こえた。オヤジはたぶんメスだと言って、威勢の良いオスを一羽添えてツガイにしてくれた。

    ぼくは本で学んだ知識をひけらかすように、巣箱に入れる四角い藁の巣がほしいといった。オヤジは四角いのは入荷していないといって、丸い藁の巣をくれた。オヤジは四角い巣箱に丸い巣を入れてみせ、四隅を丸いすりこぎのような棒で押しこむと、丸い藁の巣がだんだん四角くなって巣箱にぴったりとはまった。ぼくは少しくやしい気持ちがした。

    ツガイは相性が良いようにも悪いようにも見えた。要するに二羽の相性はぼくにはよく分からなかった。本で読んだように皮を剥いた粟に生玉子の黄身をあえて乾燥させたものを与えた。緑色野菜やイカの甲羅を干したものも与えた。タンパク質もビタミンもカルシウムもばっちりである。栄養に満たされたツガイはぼくの思惑通りに発情し、5つの卵を生んだ。

    5つの卵から3羽のヒナが孵った。親たちは3羽の餌やりに忙しくなり、残りの2個の卵をあまり温めなくなった。いつまで経っても残りの2つは孵化しないように思えた。孵った3羽はそろそろ親から離さないと、手乗りとして育てることに失敗してしまう。ぼくはヒナを巣ごと取り出すことを決断した。

    3羽のヒナを別の箱に移し、孵化しなかった2つの卵は捨てることにした。きっと無精卵だったのだろう。

    ほんとうに無精卵なのだろうか。もう少し待てば生まれたんじゃないだろうか。もう少し待ってもよかったという後悔と同時に、この卵の中でヒナが育ちつつあるかもしれないという恐怖と好奇心が混ざった複雑な感情が湧いてきた。

    ぼくは卵を捨てる前に、少しその卵の殻を割って剥いてみた。するとそこには毛のない手羽先のようなものが現れ、それは呼吸をしているかのように拍動していた。

    ぼくは恐ろしくなって、その卵をおもいっきり投げた。家の垣根を超えてどこまでも飛んでいくように力をこめて投げた。卵の中のヒナが恨みをもったまま家に帰ってこないように、なるべく遠くへ投げた。
  • ヨダレからかいまみる記憶

    目が覚めて、寝ぼけたままベッドから這い出して歩き始めたら、だらしなく口をあけたままヨダレをたらしている自分に気づいた。

    いいかえれば、ヨダレをたらしていると気づくまでのあいだ、ヨダレをたらしていることにさえ気づかずに、ぼくは歩いていたのである。

    そのときぼくは、ヨダレをたらしながらヨダレをたらしていることに気づかないでいる自分こそが、本来の自分であるような気がした。

    ほんとうのぼくは寝たきりの植物人間で、だらしなく口をあけたままヨダレを外に流し続けている。そうして現実と名付けられている夢を見ているのだ。きっとそうに違いない。その可能性を誰が否定してくれるというのか。
  • 「ぼく」のあやふやな記憶

    小学生のときバスの中で「ぼくは30歳以上は生きられない」と確信した記憶に比べれば、そのあと現在に到るまでの記憶、すなわち

    中学生の頃の記憶、
    中学3年生で転校して初めて都会に出てきたときの記憶、
    進学校といわれる高校に入学したときの記憶、
    大学時代の記憶、
    社会の前線で忙しく働き続けた記憶、
    アメリカでの2年半の記憶、
    大学で教鞭をとっていた頃の記憶、

    それらすべてがまるで霞がかかったようにあやふやだ。
    どうしてだろう。

    ひょっとするとあのとき、バスの中で「ぼくは30歳以上は生きられない」と確信したその瞬間に、ぼくは現在にタイムスリップしたのかもしれない。
  • ぼくが何になったかのあやふやな記憶

    小学生のときに30歳以上生きないと確信したのに、ぼくは自分が滅亡するはずの日からもう20年近く生きている。

    でも、それでぼくが何になったのかは未だに分からない。未だに分からないということは、どうやらこの先、ぼくが何であるかを知る可能性はなさそうだということである。

    動物は自分が何であるか知る必要もないが、やっかいなことに人間は、自分が何であるか悩み始めると社会という名のヤスリで磨り減らされていくものだ。

    世の中には宗教こそ諸悪の根源という人も少なくないし、無神論者も多い。ぼくだって何の信者でもない。

    だけど、自分が何であるかなど関係なく、そんなこと考えなくても生きていていいんだよと教えてくれた人たちがかつていたらしい。イエスだったろうか、親鸞だったろうか。

    ぼくにはそれが誰でもいいんだけど、そういう人のそういう教えが知らず知らずのうちに人々に浸透し、直接的あるいは間接的に何らかの形で、ぼくのような何者でもないものを励まし続けているから、ぼくはまだ生きているのかもしれない。
  • 小学生のときのバスの中での記憶

    小学生のときのバスの中での記憶の、もうひとつの方は極めて鮮明だ。
    それはひとつの啓示だった。小学生にして、人生で二度目の啓示だった。

    「ぼくは30歳以上は生きられない」

    バスの通路の中央に立ち、座席の角を右手でつかみながら、見慣れた風景が前から後ろに流れていく中で、なぜかぼくはそう確信したのだった。今でもその感覚を鮮明に思い出すことができるのだから、まさにそれほどの確信だったのである。

    たぶんその少し前に、「詩人は短命だ」という命題を発見したからかもしれない。もちろん長生きの詩人も世の中にはたくさんいるのだろうが、その頃ぼくの知っている詩人は石川啄木や中原中也や宮沢賢治ぐらいで、たしかにみんな短命だった。そして、その頃のぼくは詩を書くのが好きだった。

    ぼくはとくに何になりたいというのがなかった。友達のゆうちゃんは、バスの運転手になりたいと言ってた。ぼくは、そもそも将来何になりたいと考えること自体が不思議でたまらなかった。ぼくは何かになるのだろうか。中学校にいって、高校にいって、大学にいって、そして何になるのだろう。やっぱりその後のことを想像しなさいという問いは、小学生の頭には難問だった。

    「血を吐いて死ぬに違いない」

    そうとしか考えようがなかった。
  • 美樹子の記憶

    小学校にバスで通ってた。

    ランドセルの右側に定期入れをひもでぶらさげておくと、降りるときは車掌のおねえさんが勝手に確認してくれた。

    不思議なことにこのバスの中での出来事は二つしか記憶にない。ひとつは定期券が切れていたので、バス賃を現金で払おうとしてあわてて小銭をぶちまけてしまったことだ。

    拾い集めたけれどもどうしても10円玉が一個足らなかった。必死で探したけれど、ぼくひとりのためにこれ以上バスを待たせるわけにいかないと思ったので、あきらめて降りた。

    翌日、クラスの人気者の美樹子ちゃんが怒ったような顔で「はい」とひとことだけ言って10円玉をぼくに差し出した。ぼくがバスを降りたあと、見つけてくれていたのだ。

    え、ひょっとして拾っておいてくれたの?とぼくはすまさそうな顔をして受け取ったんだけど、その間じゅう美樹子ちゃんはずっと恐い顔をしていた。まるで、あんたのことが好きってわけじゃないんだからね、ぜったい誤解しないでちょうだいね、とでも言っているようにぼくは感じた。
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