手乗りの鳥を次々育てる祖父がうらやましかった。
小学生のぼくは、鳥の繁殖と手乗りの育て方についての本を、実に小学生らしい執拗さをもって次から次へと読みふけった。
祖父からもらった一羽の桜文鳥を鳥屋のオヤジのところに持っていって、雌雄の鑑別をしてもらった。桜文鳥の雌雄を見分けるのはとても難しいことだとオヤジは言った。それは、あとで間違っていた場合の前もっての言い訳にも聞こえたし、そんな難しいことを俺はできるんだぞという自慢にも聞こえた。オヤジはたぶんメスだと言って、威勢の良いオスを一羽添えてツガイにしてくれた。
ぼくは本で学んだ知識をひけらかすように、巣箱に入れる四角い藁の巣がほしいといった。オヤジは四角いのは入荷していないといって、丸い藁の巣をくれた。オヤジは四角い巣箱に丸い巣を入れてみせ、四隅を丸いすりこぎのような棒で押しこむと、丸い藁の巣がだんだん四角くなって巣箱にぴったりとはまった。ぼくは少しくやしい気持ちがした。
ツガイは相性が良いようにも悪いようにも見えた。要するに二羽の相性はぼくにはよく分からなかった。本で読んだように皮を剥いた粟に生玉子の黄身をあえて乾燥させたものを与えた。緑色野菜やイカの甲羅を干したものも与えた。タンパク質もビタミンもカルシウムもばっちりである。栄養に満たされたツガイはぼくの思惑通りに発情し、5つの卵を生んだ。
5つの卵から3羽のヒナが孵った。親たちは3羽の餌やりに忙しくなり、残りの2個の卵をあまり温めなくなった。いつまで経っても残りの2つは孵化しないように思えた。孵った3羽はそろそろ親から離さないと、手乗りとして育てることに失敗してしまう。ぼくはヒナを巣ごと取り出すことを決断した。
3羽のヒナを別の箱に移し、孵化しなかった2つの卵は捨てることにした。きっと無精卵だったのだろう。
ほんとうに無精卵なのだろうか。もう少し待てば生まれたんじゃないだろうか。もう少し待ってもよかったという後悔と同時に、この卵の中でヒナが育ちつつあるかもしれないという恐怖と好奇心が混ざった複雑な感情が湧いてきた。
ぼくは卵を捨てる前に、少しその卵の殻を割って剥いてみた。するとそこには毛のない手羽先のようなものが現れ、それは呼吸をしているかのように拍動していた。
ぼくは恐ろしくなって、その卵をおもいっきり投げた。家の垣根を超えてどこまでも飛んでいくように力をこめて投げた。卵の中のヒナが恨みをもったまま家に帰ってこないように、なるべく遠くへ投げた。