秘密のメモリーメモルノフ、ドゥワー♫

  • 私(支配者)の記憶

     私はホテルを出るとモノレールの駅の方向を確かめ、大股で歩き始めた。ところが目の前のカップルがショウウインドウに目を奪われて急に立ち止まったので、私はぶつかりそうになって慌てて身をよけた。すると今度は前から歩いてきた中年女性が私にぶつかってきた。私を追い越す人々は皆私にぶつかっていく。私以外のすべての人間は、わざと私に絡んでいるのだろうか。私はいらいらしてきた。再び私は目的地に向かって歩き出したが、相変わらず前を歩く奴らは急にペースを落として私をつまずかせ、前から来る奴らは道を譲ることなく私にぶつかり、後ろから来る奴らは私のカバンやコートの裾を揺らして追い抜いていった。間違いない。奴らにとって私は特別な標的なのである。私は自分の両足に命令を下して、私の移動速度を上げた。奴らを追い越し、追い越し際に今度は私のほうからわざとぶつかってやった。前から私に向かって来る奴らにはウーという犬のような声を出して威嚇した。私は本当に眉を吊り上げてウーウーと声を出しながら歩いた。奴らは恐れをなしていたが、表情を微動だに変えず、全く私の声が聞こえないようなふりをして去って行った。間違いない。奴らは私を監視している。

     かわいそうなことではあるが、彼らはやがて私に征服される運命にある。なぜそんなことが分かるかというと、この世界を創造したのは他ならぬ私だからである。そのことは、こういう雑踏に出てみるとより一層はっきりする。例えば、私はここにいる奴らの目を見ることができるが、私は私の目を見ることはできない。鏡に映った自分の目を見ることはできるが、鏡に映った私はあくまでも像であり、私自身ではない。それに、これだけの人間が集まっていながら、私の考えていることが聞こえるのは私だけだ。私は特別なのだ。稀有な存在なのだ。よく見ると彼らはどいつもこいつも全く冴えない顔をしていやがる。ちゃらちゃらして何も考えていない若者、遠慮を知らない中高年女、それに疲れきってダサい中高年の男どもばかりだ。だが、今ここで私が神であることを顕示するのはやめておこう。あせらなくても私はやがて支配者になる運命なのだから。

     私は私が私だと悟られないように慎重に一定のリズムで歩き、モノレールに乗った。私は自分が支配者であることがばれないよう、わざと遠慮がちな態度をとり、荷物を膝の上に載せ両肩をすぼめて座った。それにもかかわらず、右側からは汗臭い中年男が、左側からは香水臭い中年女がぎゅうぎゅうと押してきやがる。全く下等な生き物だらけだ。やがて私に支配されるということすら知らない。ひょっとすると支配された後もそのことに気づかないくらい頭が悪いのかもしれない。私はさすがに腹が立ったので、両隣の下等な生き物に罰を与えることにした。私は自分をサボテンに変身させた。全体が鋭く太く長いとげで覆われた危険なサボテンである。私のとげは中年男のだらしなく出っ張った腹に突き刺さり、そして香水女の頬を貫通した。おそらく耐え難い疼痛を感じているはずだが、奴らはそのことを気づかれまいとやせ我慢しながら、まるで何事もなかったかのように無表情でいやがる。

     モノレールが次の駅で止まると、ピンクのウィッグをつけた美少女がその駅で降りた。私の目の前にいた、背が高くてかっこいい、いかにもモテそうな男子高校生二人が、お互いに目配せをしながらその美少女を舐め回すように見送った。そしてそのうちのひとりはヒューっと口笛を吹いた。彼はピンクの髪ってかわいいじゃん、お前どう思う、などと話しながら自分の携帯電話を取り出した。そして彼は、その携帯に保存されている二次元美少女画像コレクションの中から、髪がピンク色なものだけを次々と選び出して連れに見せながら感想を求めていた。私はまだ高校生じゃないかと自分に言い聞かせながら自制していたが、ついにたまらなくなって両目からレーザー光線を発射し、彼らの脳組織を破壊した。彼らは何事もなかったかのように振舞い続けたが、すでに自分の自由意志で動いているわけではなかった。私に動かされているのである。いや、私の妄想の中のみの存在になった、と言い換えた方が妥当かもしれない。

     目的の駅が近づいたとき、別の男子高校生二人組みの会話が耳に入ってきた。私はいやも応もなく愚民どもの会話が聞こえてしまうのだ。二人のうちの一人は、最近大型電気量販店でゲーム機器を購入したらしい。そしてポイントが二千円ぐらいあるという。彼としてはそれをゲームソフトなどに使いたいと考えているのだが、彼の母親がそれで健康器具を買おうとしている、母親なので逆らえない、でも自分のポイントなのに、というような悩みを友達に相談しているのであった。私は今までに数え切れないほどの悩みを人間たちから聞き、そして解決してきたが、彼の悩みほど高校生らしく清清しい悩みは久しぶりに聞いた。彼は先ほどのイケメン高校生とは対照的で、背が低く、出っ歯で、ほとんどおしゃれには関心がないようであった。私もすべての愚民に冷たいわけじゃない。このように素朴で素直な若者には褒美を遣わすことだってあるのだ。おそらく彼は高校在学中には彼女はできないだろうが、大学2年生になったときに同じクラブに入ってきたかわいい新入生にときめきを覚え、やがてすぐにその思いが伝わることになる。私はそのように彼の人生をセットし直し、モノレールを降りた。
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