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  • 「命」の大切さについて←ふざけてるわけではありません

     世間の人がどう思っているか実のところ最近よく分からないのだが、ぼくはあらゆる「命」は尊いものだと思っている。肉食をし、家に入ってくる蚊やムカデを殺したりはするものの、できればあらゆる殺生をせずに、いろんな生き物と人間が共存できればそれにこしたことはないのになあと思っている。
     一部の鳥やほ乳類はペットにしたいくらい好きだし、そうでない生き物だとしても、理不尽に命を奪われる光景には胸が痛む。

     でもたとえば、日本ではとうに絶滅してしまったトキや、元々いないパンダを、わざわざ日本に連れてきて繁殖させ、「種」を保存しようとする行為が「命」を大切にしている行動だとはまったく思えない。科学的、博物学的にはそりゃあ意義のある行為かもしれない。でもそれは、恐竜の遺伝子からとうに絶滅した恐竜を復元しようとする行為と何ら変わらないものだ。「いけないこと」だと言ってるわけではない。科学的、博物学的興味でそれをやることは一向に構わないが(パンダの繁殖も恐竜の復元も)、それはあくまでも人間のエゴであって、パンダのためでも恐竜のためでもないだろう、という話。

     ぼくは「既に生まれてきてしまった命」はなるべく大切にし、その生を全うさせ、できればみな「幸福」であってほしいと思うけれど、「種」が絶滅しようがどうしようが、正直どうでもいい。人類が緩やかに絶滅に向かったとしても、一向に気にならない。
     ボランティアで野良猫たちを去勢・避妊手術をして地域で共存させようとする人たちがいる一方で、「産む権利を奪うなんて可哀想」とか言って自分のペットに手術をしないで、望まず産まれた子猫や子犬を捨てるような飼い主もいる。どっちが「命」を大切にしているかは、考えるまでもないと思うのだが。

     ぼくは「自分の遺伝子を残したい」という思いがまったくないせいもあるかもしれない。どうも、そう思っている人は多いらしいから、ぼくの本能が壊れているのかもしれない。でも何にしろぼくは、自分の血統が途絶えることを何とも思っていないし、人類が絶滅することもトキが絶滅することも、どうでもいい。この世に生まれてしまった「命」さえ「幸福」であるなら。

     こういう考え方は普通なんだとずっと思ってきたのだけれど、どうも違うみたいね?
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