*この文章は貴志祐介『硝子のハンマー』及び我孫子武丸「人形はテントで推理する」(及びできれば赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』)を既読の方へ向けて書いています。未読の方には意味が分からないかもしれませんし、今後の楽しみを失う恐れがあります。ご注意ください。
『硝子のハンマー』が刊行された時、角川のPR雑誌「本の旅人」のインタビュー(聞き手は北村薫さん)で、メイントリックが「人形はテントで推理する」(具体的なタイトルは伏せられているが)のそれと若干類似していることが話題にされていた。北村さんからそのことを聞かれた貴志さんは、それは読んでいるけれども、このトリックを思いついたのは二十代の頃だったと述べていたように記憶している。
貴志さんは59年生まれとのことなので、62年生まれのぼくからすると三つ上だけれど、まあ同世代と言っていいだろう。
「人形はテントで推理する」のネタがいつ浮かんだのかはっきりとは覚えていないのだけれど、思考経路は今でも覚えている。
『三毛猫ホームズの推理』のようなことができないかと頭を捻っていたのだ。
「三毛猫ホームズ」シリーズの第一作、『三毛猫ホームズの推理』は78年に発表されているが、いつ読んだかははっきり覚えていない。シリーズがそんなに出てなかった気がするので多分出てそんなに経たない間だろう。貴志さんも恐らく20代前半で読んでいるのではないだろうか。
色々な密室トリックを分類することは可能だけれども、いまだにこのトリックというのはちょっと次元の違う、そしてまた一回やったら他の人は真似の出来ない、孤高のトリックだろうと思う。たくさん密室トリックを読み慣れていればいるほど唖然とするトリックだ(通常のトリックはその後にバリエーションが色々出るので、遡って読んでもなかなか驚けないものだが、これはバリエーションが書けないので)。
バリエーションは書けない。しかし何とかして似た傾向のトリックは可能ではないだろうか。密室の外部と内部が完全に隔絶された状態のまま殺人を行なう、画期的な方法がないものか、と考えたわけだ。
それで考えたのが「人形はテントで推理する」の「柔らかい密室」であり、同時に実は「硬い密室」も考えていた。同じ発想から別れた二つのネタの、どちらを採用するか悩んでいたわけだ。結局「硬い密室」は捨てて、「柔らかい密室」を選んだわけだが、後年『硝子のハンマー』を読んで、「『テント』と似ている」以上に、自分が選択しなかったネタと似ていること、そしてもしそちらを選択していたとしても絶対こうはならなかっただろうということを思い、トリック観の違いというか作家性の違いというか、そういうものの存在を感じてすごく興味深かったのだ。
そしてまた、もしかすると貴志さんもまたぼくと同じような思考経路を辿ってあのトリックにいたったのではないかということも。
その時考えた「硬い」バージョンは、こうだ。
現場は安アパート。布団で寝ているところに、ボーリングのボール(か水晶玉みたいなもの)が落ちてきて頭を潰された死体が発見される。玄関からも窓からも出入りはない。ボーリングのボールは、寝ている布団の横に置いてあるタンスの上に、クッションのようなものを噛ませて飾ってあったもの。地震でもあったか本人が寝ぼけてタンスを蹴飛ばしたか……そういった原因の事故かと思われる。
タンスの後ろ側には太い柱があるのだが、部屋を隔てる壁自体が薄く、その柱は隣の部屋と共通のもので、結構な安普請、という設定。
もう分かると思うが、犯人はまず、タンスの上のボールを、柱に押しつけておく。ちょっとの衝撃でボールが転がるようクッションの載せ方も調整する必要があるだろう。
しかる後、被害者が寝入るのを見計らって、自分の部屋側の柱をゴムハンマーのようなもので思い切り叩く。……。
どうしてこちらの密室を採用しなかったかというと、「安普請のアパート」という舞台設定のしょぼさと、タンスの上の重たいボールというやや不自然な「装置」が挟まることによって、『三毛猫ホームズの推理』的なシンプルな美しさが損なわれると思ったからだ。テントの密室というものは聞いたことなかったので珍しいだろうとも思い、そちらを書くことにした。
さて、『硝子のハンマー』だ。こちらは安普請のアパートどころか、超ハイテクの要塞のような密室。舞台も魅力的だし、ディテイルも面白い。最新鋭のロボットに猿、監視カメラ。様々なセキュリティを一つ一つ突破する方法が描かれ、たくさんのもっともらしい仮説が出ては崩され、そしてやはり最後に鉄壁の密室が残ってしまう。で、あれだ。
犯人は結局何度も現場に出入りして、砂糖に薬を仕込み、介護ロボットの操作もでき、窓ガラスにも細工をした。
特に最後の点はちょっとがっかりだった。結局それだけ色々できたんなら、もっとましな方法があるように見えてしまう。薬を飲むかどうか、飲んでも目を覚まさないかどうか、しかも「死ぬかどうか」もあやふやだ。同じ設定ならせめて、窓ガラスに何も細工しなくても、あのガラスの厚みなら、たとえ防弾であっても、内側に接して置いた銃弾のお尻を叩いて発射させることが出来る、とかなんとか嘘でも言ってくれる方が好きだ。介護ロボットも使わなくてすむ(ミスリードのために置いてあってもいいが)。
ぼくは、読んでいる最中面白いかどうか、ということよりも、最終的に浮かび上がる「構図」の壮大さとかシンプルさとか美しさとか、そういうところにどうしても惹かれてしまうようだ。
物理的に納得できても、心理的に納得できないとやっぱりついていけない。トリックが準備が必要だったり手順が複雑だったりすればするほど、「なぜそんなことをしなければならなかったか」という説明も増えていくが、それも程度問題で、一定レベルを越えれば一見全部辻褄が合っていようとも「そんなことするやつおらんやろ」と脳が受け入れを拒否してしまう。
多分、多くの人にとっては最終的な辻褄がどうとかいう前に、読んでいる最中ハラハラしたり謎また謎の展開が続いたりする方がいいんだろうとは思うけれど、性格的に無理なのだった。
ちなみに、メイントリックの扱いは趣味ではないけれど、原作の前半はテレビドラマとはひと味もふた味も違う面白さなのでドラマしか観てない人は原作も読んだ方がいいと思うよ。(監視カメラを騙す手口とか、時代のせいで仕方ない面もあるけどテレビじゃカットされてたしね)