ブログというものが流行りだした頃から感じていたこと。
インターネットが日本で広まり出した当初、「ホームページ」という本来「トップページ」とほぼイコールの言葉は日本では「個人サイト」を意味する言葉として解釈され、定着した。恐らくだが「ホーム」=家というニュアンスを汲み取ったのだろう、ネット上にバーチャルな「家」を持つというイメージがあったように思う。
だからその頃の「ホームページ」のほとんどのトップページは、そのサイトの顔であり玄関というイメージでデザインされていた。テキスト中心のサイトであっても、そこだけはちょっと凝った看板を掲げ、どういうサイトなのかをイメージさせるようみんな工夫していた。まず管理者のプロフィールを掲げ、メインのコンテンツや他サイトへのリンクを見やすく配置する。あくまでも「玄関」なのでコンテンツそのものはそこにはほとんどない。一番一般的だったindex.htmlというファイル名も「ここは目次を置くところだよな」という固定観念を植え付けたのではないかと思う。
その当時からなぜか日本では「日記」をHPのコンテンツとして書くことが流行っていた。weblogとかblogとかいう言葉が入ってくる前で、その当時の認識としては「欧米人はあんまり日記は書かないのに日本人はなんで?」というものだったはずだ。日記はむしろ、「もっともローコストで増やせるコンテンツ」だったからだと思うのだが(「コンテンツをもっと増やさなければ!」という強迫観念があるゆえ)、日記文学、私小説を引き合いに出して日本人は太古の昔から日記が好きなのだと言う人もいた。
いずれにしろ、htmlファイルを手書きしていた時代の日記というものは概ね上から下へ書き足していくものであり、初めてそのHPを訪問した人はプロフィールを見て興味を持てば、あえて「日記」と書かれたリンクをクリックして古いものから目を通す、そういう順序が一般的だった。
「ブログ」が入ってきて、それまで「ホームページ」を作っていた人も次々とそちらに移行したし、持っていなかった人もどっと増えた。もちろん、手軽だったからだろう。htmlを書かなくてもいいし、ftpも知らなくていい。
でもどうにも好きになれなくて、移行する気にもならなかったし、それまで読んでいた人々の日記もブログに移行した人のものはあまり読まなくなってしまった。
今でこそブログだからといって「重い」ということはないように感じるが、サーバの問題なのかプログラムの問題なのか、とにかくページ生成に時間がかかったのもブログを嫌いになった理由の一つだ。
自分がやらなかったのは、データはローカルにあって欲しいということが大きい。パソコン通信の時代からやっているせいか、「ログ」はダウンロードして読むもので、もちろん自分の書いたものも含めて全部ローカルにあるのが普通だった。そうではないブログというものに今ひとつ信用がおけなかった。
でも、ページ生成もストレスを感じないレベルになり、データがローカルにない状態にもmixiやtwitterをやる間に慣れてしまった。
それでもなおやはり、ブログ――というか、「ブログ的文化」は好きになれない。
「ブログ的文化」とは、「プロフィールはないか、あってもほとんど無意味で、しかも背後に隠されている。自分が何者かよりも、今日何を食べたかとか、ある作品をどう思ったかをいきなりつきつける」文化のことである。「一見さんお断わり」あるいは「発言者ではなく内容だけ見てくれ」のどちらか、あるいは両方の思想がありそうだ。
もちろん、ブログの形態を取っていても、きっちりしたプロフィールを書き、どういうサイトか分かるように気を配っているブログ主もいるし、「ホームページ」の時代でも、その辺がいい加減な人がいなかったわけではない。
しかしシステムの都合上、そういう傾向が強くなるのは必然だったし、そして実際ブログを好んだ人々がそもそもそういう点を好んだ――少なくとも忌避しなかったということは言えるだろう。
その後出てきたアフィリエイト、というものももちろん嫌いだ。欲しいな、と思ってもアフィリエイトリンクからは絶対買わないぞ、とさえ思う。
まあそういうわけで、ぼくはこれまでブログには手を出さなかったし、ほとんど定期購読するブログもなかった。
しかしその後、色々と変化はあった。一番大きいのは検索エンジンの充実だろう。(知ってる? 昔はグーグルもヤフーもなかったんやで?)
昔は、一度見たページは、ちゃんとブックマークしておかないと二度と辿り着けないようなことさえあった。今は、あやふやな記憶でも適当に検索すればたいていヒットする。誰かの貼ったリンクに頼らなくても目的のページに簡単にアクセスできるようになった。
読みたいのが膨大なブログのある一ページである場合、そのブログのトップページに飛んで遡っていくより、いきなり検索エンジンで必要な言葉を入れる方が早い。ブログを単なる倉庫と考えるなら、並び順も無意味だ。
Twitterという、ブログ以上に刹那的なメディアに慣れたこともある。「今、現在のツイート」をいくつか読んでフォローをしたりするわけだが、多分ブログ以上に、過去のツイートを遡ろうとする人は少ないだろう。(たとえtwilogのように過去ログがあっても)現在と未来は重要だが、過去はあんまり問わない(単にめんどくさいだけだが)。一旦フォローしたら、よほど目障りならリムーブするが、そうでもなければ多少つまらなくても流れていくだけだからさほど気にならない。そういうメディアだ。
始めてみると意外なほど性に合っていた。今やTwitterはぼくにとってはポータルサイトだ。ニュースもブログも、「知り合い」が紹介しているなら読もうか、という気持ちでどんどんクリックする。よほどのことがなければその飛び先の他の記事を読んだりブックマークすることはないが、それくらいでちょうどいい。何しろ情報が多すぎる。
Twitterの最大の欠点はやはり長文が書けない、たとえ番号を振って書いてもバラバラにリツイートされたりして論旨が誤解されやすい、ということだろう。
そんなわけで、あくまでもTwitterの補助として、倉庫としてここを用意したのです。
決してブログを好きになったわけじゃないんだからね。