気ままな一日目

  • 拍手レス


    拍手をくださった方々,いつもありがとうございます.
    コメントをくださった方々,お待たせしてすみません.
    それでは早速拍手レス!
    …とは銘打ちつつ,今回もアンチ色が濃厚ですので,アスカガアンチ話が入っても大丈夫な方はご覧ください.


    ■11/6 02:44 「私も凄くアスカガ…」の方
    ⇒コメントありがとうございます!
     まさか同調していただけるとは思っていませんでした!
     言いたいことをストレートに言いたくなる性分なので,言いすぎだと言われるかもしれないと思っていたのですが…よかったです(笑)
     当時放映された描写よりも,より一層あの描写を強調したものに描き直す必要性はどこにあったのでしょうかね.
     もとからそんなに悪い絵はなかったはずですが,あえて描き直したのは…まあ,考えるまでもないことですね.
     戦争もので強調しなきゃいけないのは,ああいう安い恋愛模様ではないと思うのですが.
     仰る通り,運命での“実は親愛でした”勘違い事件を強調させるつもりなのでしょうか.
     だとしたら尊敬しますが…ンなわけないですよねー.
     初期のカガリは別に好きでも嫌いでもなかったんですよ.
     というか,どうでもよかっt(略)
     作品の宣伝みたいであれですけど,私の中でのカガリの理想像は“R.I.P”のような,ちょっとお馬鹿で快活な少女です.
     ヒマワリのように,ひたすら真っ直ぐでタフで明快で,しかしそれゆえに嫌みなく何やかんやと煩い親分肌を気取れるようなキャラクターであってほしかったんですが…つまり少年のようなカガリでいてほしかったんです!
     それなのに(ラクスに結果的に振られた)アスランの相手としてカガリを当て嵌めようとして無理やりキャラクター像を変えるから,こんなに不自然になってしまうんでしょうね.
     本当に茶番のようなカップリングだ.
     オーブという国は私も最初から苦手でした.
     日本がモデルらしいですが…監督からは日本という国はそういう“おキレイ”なふうに見えていたのかと思うと,思い上がりも甚だしいと思いますけどね.
     中立を貫こうとする志を問題視するつもりはなく,むしろ外交において必要なことだと思います.
     私が好かないのは,理念が現実的利益より優先されている点と,国を安定させる上において許されないその矛盾に上層部が気づいていない点,そして何より,そうした矛盾を抱えたまま,理念優先で妥協できなかった故に国民が犠牲になったというのに,それすらなかったことのように,まるでオーブは最初から最後まで“おキレイ”で幸せな平和の国のような描写がなされていたことです.
     当時のオーブ首長の行いで犠牲になったのは,一部の上層部の命だけじゃなくて,残された,本来ならば何より大事に守らねばならなかった国民の生活も,それによって失われてしまったわけです.
     それでも理想的な国家として描かれている様は,本当に“おキレイ”なことだと思いますよ.
     …と私は思っているのですが,う~ん….
     イザアスについては,本当に書いてあるそのままです.
     私は決してイザークを完璧だとも正義だとも強い人間だとも思っていません.
     不完全な彼が,彼なりの正義を信じて,彼なりに筋を通して強く立っていようとする姿は,万民が認めるような聖人君子の様相ではなく,単に“彼なり”という独善的な個人主義の中にある彼のあり方に過ぎないのです.
     しかしその,ある意味所詮利己的な一人間の,それでも凛と自分の行く先を見据えている姿が,人よりも死に近い場所に立っているアスランを現実に惹きつけてくれたらと思うのです.
     そしたら,ただ誰かのために,ただ誰かを守るためにと安直で自己犠牲的で完璧で極限まで理想的な正義に近い,しかし実はそれゆえに他のいかなる人間よりも利己的に生きてきたアスランに,もっと“自分なりに”我がままに生きていいんだと思わせられるのにと考えています.
     彼らの関係は,一側面からでは語れなくて,あまりに長くなるので,今日のところはこの辺で…(汗)
     長々失礼しました;


    ■11/7 02:02 「例のシーン。…」の方
    ⇒コメントありがとうございます.
     悲壮感…漂っていましたね.
     勘違いしている故に漂う,視聴者側の如何ともしがたい薄ら寒さ…やりきれないです.
     しかしあなた様のコメントゆえに考えたことが一つ.
     アスランのあの違和感ありまくりの行動って,実は彼が死ぬ覚悟を決めた故,え~と,むしろ死ぬ覚悟を決めるための行動だったのではないかと思いました.
     死ぬ前にその覚悟を決めて,そこに飛び込むのは,それはもうすでに覚悟云々で語ることのできな極限の心理状態ではないかと思います.
     しかしアスランは連合とザフトとの最終戦にたった三隻で挑もうとしており,しかもザフトを指揮しているのは自分の父.
     戦闘を乗り切るためというだけでなく,父の行いをその子どもである自分の命で償おうとすらしているかのような,そうしてまで父を止めたい,父を犯罪者にしたくない,父を許してほしいと願う,そんな悲痛な思いが渦巻いていたと思います.
     それくらい彼は真面目君でしょうし,それくらいパトリックを愛していたでしょうから.
     「俺がちゃんと戦うから,ちゃんと死ぬから,お父さんを許してあげて」って.
     酷い言い方をすれば,死ぬためにアスランは最後の戦場に出たのではないでしょうか.
     そんな自分の決意を自分一人で抱え込むことなど,思春期の少年にできるわけがありません.
     死ぬためには,自死を許してもらえるだけの大義名分が必要になる.
     だから,アスランはカガリを頼ったのかもしれませんね.
     それが一種の恋愛感情だというふうに置き換えて(勘違いして)まで.
     “誰かを守ってあげる”ということほど,アスランにとって魅力的な大義は存在しなかったと思います.
     だってそれまでにアスランはその“誰か”を失いすぎているわけですから.
     “誰か”を守るためならば,自分が死ぬことは許されるって,そう思っちゃったんじゃないでしょうかね.
     そんなはずはないのにね.
     その藁にも縋りたい必死さが,あの違和感ありまくりの行動の原因ではないかと思うと,何だか非常に自分の気持ちが落ち着きました.
     「俺はこの子を守ってあげるんだ.それが結果,俺が死ぬことになっても,それは無意味な死ではなくて,この子を守りたいと思った俺の志が招いた,美しく有意義で正当な死なんだ」って感じで.
     アスランの心情を例えるためとはいえ,彼らを引き合いに出すのはあまりにも失礼なことだとは思うのですが…まるで神風の少年たちのように思えてきました.
     自分の身を剣として,敵の艦隊に突っ込んだあの少年たちは,自分の死によって生み出されるはずの,大日本帝国の勝利を信じた.
     そうすることで,これから自分たちが行うこと,そして自分が死ぬことの覚悟を自分の中で少しでも正当化できたのではないかと,もしかしたら突き付けられているあまりにも理不尽な要求も,少しだけ許してあげることができたのではないか,少しだけ楽になれたのではないかと.
     …う~ん,重い話になりましたね.
     ですが,ここに書きながら何となく自分でしっくりきたので,多分アスランの行動はそういうことだったんだな,と自分なりには納得できました.
     あなた様のコメントのおかげです!
     しかし,そう思うと,僅かばかりにカガリに同情すらします….
     そしてアスランの心情や覚悟を思うと余計にあの脚本に腹が立ってきました.
     一人の少年が死を覚悟するような描写をあのように浅く描かれると…うん,ダメでしょ.
     ああっ,またも長くなってすみません;あと重すぎてすみません.
     が,私にとっては発見の多いレスとなりました.
     ありがとうございます!


    ■11/7 22:10 七海さくら様
    ⇒さくら様,また来てくださったんですね!
     しかもコメントまで!
     ありがとうございます!!
     無言で手をゴンは格好いいですよね.
     男の子だから尚のことサマになるのでしょう.
     特に,幾多の戦場を一緒に駆け抜けてきたこの三人だからこそ.
     むしろ言葉よりも,この行動が互いを信頼している証拠になると思います.
     私は心理学を専門に勉強してきましたが,その中でこの“喪の作業”という言葉に出会いました.
     英語表記した際の“Mourning”は礼服や喪服といった意味があります.
     私にとって,この喪の作業という過程はとてつもなく印象的で,そして神秘的であったため,できればきちんと説明したいのですが,説明しようとすればするほど陳腐になってしまう気もします.
     というのは,喪の作業を行う当事者によって,その意味合いは変わってくるし,結論も違ってくるためです.
     逆を返せば,喪の作業というものを知識化,理論化する側にとってもそれは同じことで,捉え方が変わってきます.
     辞書に載っている説明をそのまま引用してもいいのですが,それは結局概論的な事柄,文字情報にすぎず,その理解や解釈はやはり人によって異なってくるわけで,恐らくそれではこの過程の一番大事な部分が言語によって邪魔され,抜け落ちてしまいます.
     そもそも心理学自体が学問と呼べるのかどうかすら分からない,あやふやな理論の集合体ですので,なんだか私がこの過程について説明をするのは,この過程に一本の正しいとされる道を通そうとしているみたいで,無粋とすら思うのです.
     人の心の中で起きる現象は,それがどのようなものであれ,結局それはご本人にしか分からない,というのが私の考えです.
     あとがきでも書いてあった通り,この喪の作業には正誤はありません.
     この過程を通して最終的に行きつく場所が,とても美しかったり,晴れやかだったり,どんよりしたり,重たかったり,何一つ変わらなかったとしても,それにはそれの意味がちゃんとあるのだそうです.
     その意味は本人にしか分からないし,本人にしかそれがあるがままのこととしてリアルに感じられないものでしょうから,さくら様はさくら様の中で湧き上がってくるいろんな感情を自分の胸で受け取ってあげたらいいと思います.
     先述した通り,心の中の現象にマルバツをつけることほど無粋なことはないので,それがいかなるものであっても,それはさくら様にとって“何より正しい答え”だと思いますよ.
     いやはや,偉そうにすみません;
     そしてさくら様からもご賛同いただきました,アスカガ!(笑)
     本当に脚本上必要だっただけの,安直な設定ですよね.
     それがなぜこうも人気が出たのか…分かりません.
     アスランの行動の理由は今し方(ほぼ私の独断と偏見のもと)分かったところですが,仮にアスランの中で起きた心的過程が先述した通りであるならば,これほど惨いカップリングはないのでは,と思います.
     だって,アスランにとっては死ぬために選んだ相手なわけですから…カガリ,ちょっと可哀想です.
     その不自然さゆえに運命では別れを迎えるんですよね…まあ,私の中では恋仲だったなんて設定はハナから存在していませんが!
     ですからあの48話も虚空の彼方に消え去りました.
     え,48話なんてありましたっけ?
     はーい,そして偉そうに喋りあげた挙句にやっぱり長くなってしまいました.
     最後に一言だけ.
     私は博識じゃなく,薄識ですよ(真顔)
     それでは,コメントありがとうございました!!


    うひゃ~,いただいたコメントがどれも美味しい内容すぎて,半ば予想していたとはいえ,素晴らしい暴走ぶり,本当にすみません.
    それもこれも,私が食いつくようなコメントを下さる方のせいですね!
    そうです,画面の前のあなた様のことですよ.
    愛してる!(!?)
    しかし,これは予想だにしていませんでしたが,みなさま意外とアスカガ苦手な方が多いようで….
    好きな方は本当に好きなんでしょうが,嫌いな方は本当に嫌いなわけで,それぞれの主張はそれぞれで推測はできても,ここまで二極化する理由はよく分かりませんね.
    どういった理由でこうなるんでしょうか.
    前回のアンチ話を基本に考えると,単に少女漫画趣味かそうでないかに分かれてしまいそうなんですが,それだけじゃあちょっと面白くないですよね.
    またボーっと考えてみたいです.
    その際にはみなさま,またお目汚しで長々しい独り言を述べることになると思いますので,そのときには笑って許してください.
    元来,お喋りが好きな性質なものですから;
Copyright © Textt / GreenSpace