わあああああ,いただいたコメントにお返事を書いた記事を数日前に投稿してたのですが,この記事を更新する際に間違えて消してしまいましたああああ!!!
わあああああ,せっかくいっぱいお返事を書かせてもらってたのにいいいいいやっふううううう!!!(錯乱)
というわけで,もう一度.
らんらん様,ぴ様,先にあげたお返事をすでにご覧になっていたらいいのですが….
お返事の内容が薄っぺらになってしまってたらすみません!!
■9/22 らんらん様
⇒コメントありがとうございます!
いつもだなんて!?
もう駄作ばかりで恐れ多いのですが….
次は何書いたもんかな~と思っているところで,また次の更新までお待たせしてしまうかもしれませんが,
またお暇なときにでもいらしてくださいませ.
お楽しみいただけるものをご提供できたらと思います.
それでは,拍手ありがとうございました!
■9/23 ぴ様
⇒コメントありがとうございます!
拍手の二人,プライベートではだいだいあれが通常運転かと思います.
お互いに戦いという意識が働かなければ,こういうふうに穏やかな日を過ごすことも可能なようです.
命を削って生きることに慣れているからこそ,日常を大事に謳歌できるんだと思うんですよね.
きっとシン君も同じだから,「まあ、別にいいですけど…」とか,その後にブツブツ言ってくれたりするんだと思います.
そして,4年越しに,ついに!
よかったね,イザーク…と書いた私も思いました.
このサイトでR指定は書くつもりはなかったんですが,この二人がここに至るまでの状況が状況でしたので,気づけば思わず書いてしまいました.
恐るべし,イザアス!
アスランにとっての幸せは,自分のことを知ってもらえることであり,知ってもらいたいと自ら動けることであり,そして自分自身も,相手のことを知りたいと思うことでもあると思います.
基本的に,アスランは誰のことも嫌いにならない人だと思うんですが,その代わりに誰のことも好きにならない人でもあると思います.
悪い言い方をすれば,無関心なんだと.
だから,必要以上に誰かを知ろうとする必要がないのと同様に,自分のことも知ってもらう必要もなければ,そうしてほしくもないんだと思います.
そういう性分なのに,どうしてイザークに惹かれたのかと言われれば,それはイザークが,アスランの見せるペテンを悉く引っぺがした上でも尚,アスランのことを否定しなかったから,ではないでしょうか.
本性を晒して,それで良いと言ってくれる人なんて,アスランの傍にはいなかったし,それが本性ではないだろう,お前の本性はどこだ!とアスランのことをずっと見続けてくれる人もいなかった.
そうさせるお前は誰だ,とアスランは怖がりつつも(今も怖がりながらも)イザークを知ろうとした.
アスランもイザークも,そういうふうに互いを見ることができたことが,アスランにとっての幸せになった,ということでしょうか.
互いが相手の全てを知りうる,理解し得る,なんてことはできないというのが私の持論です.
が,それをどこまでも知りたい,理解したいとする関係の二人は,幸せだと思います.
全てを知った,理解した,と思うことは,そこで相手に関する関心を停止させたのと同じでしょうから.
二人はお互いに理解できていない部分があることを分かっているからこそ,その関係を進展させ続けることができるんだと思います.
これが私のイザアス観だったりするんですが,ぴ様にも共感していただけたら,この上なく嬉しく思います!
これからもぴ様にご満足いただける話が書けたらと思います.
亀以上にゆっくりとした足取りですが,お付き合いいただけると幸いです.
それから,災害についてもご心配いただきまして,ありがとうございます.
秋も盛りに入り,朝晩冷え込みますので,ぴ様もどうかご自愛ください.
それでは,コメントありがとうございました☆
さて,27日は誕生日でした.
(SEED関係ないんですが)ジョセフ・ジョースターとブローノ・ブチャラティと誕生日が同じ,ということが私の唯一の自慢!
あ,んで,どういうわけか種運命の44話(レクイエムが放たれた話ですね)を見たんですけどね,私この話のイザークとディアッカがこれまでの中で一番格好いいと思うんですよね.
主な登場人物の中で,プラントを最初から最後まで一貫した形で守ろうと動いていたのってイザークだけなんですよ.
運命に入ってからはディアッカもそうでしたが.
その思いが言葉だけでなく,行動も伴って描かれていたのが,この44話だと思います.
(余談ですが,この話の中にはオレンジショルダー,つまり元ハイネの部隊のMSも映りますが,彼らはハイネの死後,ジュール隊に配属されています.胸アツ!)
その姿が,最高に格好良かった.
まあ,この件は二人にとって本当に痛い傷の記憶となることは確かなんですが….
あのレクイエムの砲撃で,ヤヌアリウス・ワンからフォー,ディセンベル・セブンとエイトが壊滅します.
(各プラントには,10基の砂時計型のコロニーがあり,それぞれが○○・ワン~○○・テンと呼ばれています.1基=“区”,10区=“市”と考えるようですので,一応総数として全12市,計92基のコロニーがあることになりますね)
ユニウス・セブンへの核攻撃を機に(たとえパトリックの政治的立場による影響があったにせよ)ザフト入隊を決めたアスランが,どうしてレクイエムの砲撃に対してはあんなに反応が薄いのか,何だか釈然としないのですよね….
公式設定として,ディセンベルはアスランの故郷です.
それが果たしてワンからテンのどこであったのか,それは明かされないままでしたが,コーディネーターの,プラントに対する帰属意識から考えると,例えそれがプラントのどこであったとしても,アスランは憤怒してしかるべきだと思うのです.
自分の出身地でないプラントへの攻撃に対して,イザークやディアッカがあんな表情を見せたのは,何も彼らだけに限った心情ではないと思うのですよ.
我々の愛国心以上の意味があると思っているのですが….
自身の出生地が壊滅したのに,どうしてアスランは驚きはすれど,怒り,悲しもうとしなかったのか.
それどころか,キラやラクスを始めとする第三勢力の皆様と,呑気に主義主張について談話してらっしゃるわけです.
釈然としない.
さて,それを少しばかり冷静になって考えてみれば,アスランがそのように振る舞っていたのは,彼のいた場所が地球だったから,そして第三勢力の中にいたからかな,と思ったわけです.
宇宙と地球という距離は,人が直感的に感じる感情を鈍麻させるものなんでしょうかね.
酷い災害の様子も,近い場所にいなければさほど緊迫したこと,リアルなこととして感じられなかったりするのと同様に.
もう一つの可能性として,アスランがその時点でザフトではなく,第三勢力の中にいたから,という可能性について.
アスランは,実質ザフトから嫌疑をかけられ追い出される形になったわけですが,そうした裏切りに対する怒りが,プラントに対する軽薄な反応として(無意識的にしろ意識的にしろ)現れたか.
この場合,第三勢力に非常に簡単に合意を示したのも,プラントに対する無意識的な離反,攻撃として受け取れますね.
あれです,思春期の子どもが,親に対する反抗の一環として,親とは正反対の人(ヤクザや風俗業,あるいは親から交際を猛反対されるような人)と敢えて繋がってみるのと同じような感じですかね.
もしくは,第三勢力という,本来的に自分の居場所でない場所にいるために,自分の感情を表すことができなかったか.
これはあれですね,幼児が慣れない場所ではわがまま一つ言わず大人しくしているような,非常に手のかからない良い子として振る舞うのと同様です.
これはつまり,自分の中の不安を外に向けて出しても,誰もそれを受け取ってくれないという恐れ,諦めによって起こり得る,自分の心を守るための防御手段なんですよね.
これらが複合的に絡み合って,アスランのあの淡白な反応として現れているならば,まあ,渋々ながらも納得です.
それくらい,あの第三勢力という場所,そして地球という場所は,アスランにとって恐れを抱かせる場所だった,ということなんでしょう.
実際にアスランは,第三勢力というものに対して終始懐疑的であったというのが公式の見解なわけですし.
仮にアスランにそういう,心理的な機制が働いたのだとしたら,彼はいったいいつ,プラントが攻撃されたこと,壊滅させられたこと,そして自分がそのときにその場にいられなかったことを悔やめたんでしょうか.
うちのサイトでは「たむけぼし」という形で,故郷を失ったことを悼む描写を入れ込みましたが,そこに至るまで,アスランがディセンベルがなくなったことに対して,何の反応もしなかったとは到底思えないんですよね.
だって多分,アスランのような性格の子は,連合を憎んだり,止められなかったことを悔やむよりまず,自分の不甲斐なさを憎んで憎んで仕方ないはずなんですよ.
その理由は,ニコルが殺された辺りや,キラを殺してしまったと思っていた辺りを見ていれば分かるかと思いますが,アスランが誰かを憎むとき,それは本来的には自分に向けられた感情であると解釈できます.
アスランは,それを行った相手に単純に怒りを向けることで処理することはできない人です.
それを止められなかった自分を,彼はまず何よりも罵り,蔑み,憎むはずです.
だから,放映当時はアスランが取り乱し,泣くことをハアハア期待して見ていた私ですが,今となっては,むしろあのようにしか振る舞えなかったアスランが,逆に不憫で,心配になりましたよね.
あなた,今嘆かないで,いつ嘆けるのよ,とね.
戦後,プラントにすぐ帰ることができなかったアスランは,ディセンベルが壊滅させられたことを,本当に実感し,嘆くことができたんでしょうか.
それができなかったのだとしたら,それは本当に恐ろしいことですよ.
悲しむべき,怒るべきときにそれができないなんてのは,いずれもっと別の,恐ろしい形で表れてくるものです.
つらつらと考えなしに書いてきましたが,今無性に,それをどうにか昇華させたい衝動に駆られています.
どうにかしたって,イザークさん!!