気ままな一日目

  • アンチ話

    題名通り,アンチの話です.
    隠す気も全くありませんが,私,アスカガが苦手です.
    それについて語ってますが,これを読んでの苦情は受け付けませんよ!



    リマスター48話を見ましたが,とんでもない放送事故が起きてましたね.
    おお,アスランが何やら可愛いぞと思っていたら…お前お前お前ェ…….
    ザ・アンチの話になるのですが…正直,私はアスカガは嫌いなんですよ.
    終盤のカガリが,年頃の女子にとって自己投影しやすいキャラクターであることは確かでしょうが,自己投影しやすい対象に描かれすぎてて浅い.
    だからアスランの感情や,それによって選択される行動も浅くなってしまって面白くないんです.
    描写が,ただ女子の願望をそのまま当て嵌めただけの気がして.
    そりゃあ,運命ですれ違いが起きても仕方ないでしょうね.
    そもそも互いが抱いていたイメージ自体が偶像に近かったのですから.
    合わないはずだ.

    初期の男勝りで気持ちはあってもおバカなカガリだったら良かったのに…それだったら,くっ付くことは許可しないー!だとしても,よき友人としてカガリとアスランを応援できたのですが….
    そっちの方が発展性のある関係になりそうだったと思うのですが…なぜ無理やりカップルにしたのか,ちょっとよく分かりません.
    本編を見ていると,カガリの持つ快活さ(あるいは良い意味での無神経さ?)を彼女特有の包容力と勘違いしている節があるし,彼女の不器用さや拙さを,守ってあげなきゃいけない可愛い弱さだと捉えている節があるように思うのですが,うーん…それは幻想ですし,視聴者に媚びたい脚本上の演出でしょう.
    力はないかもしれませんが,守ってやらなきゃいけないほどか弱くはないですよ,カガリは.
    本当は一人でいられるだけの頑強な精神を持っていたのに,わざわざ本当は庇護されたかったか弱い女に彼女を仕立てた脚本は,実に浅はかだと思います.
    本当は魅力的なキャラのはずだったのにな~.
    そういうわけで,終盤のカガリはどうにもアスランに媚びているように見えて,で,アスランもアスランで簡単にそれに引っかかる頭の軽い男に見えて…アスカガはダメです.
    繰り返しになりますが,狙いが透けて見え,軽くて浅くて,面白くない.

    うーん,こうやって難しく考えなくても,私がアスカガを認められない理由なんて,結局一つなんですけどね.
    アスランはイザークといた方が,遥かに彼自身のためになると思う,というただ一点です.
    彼の場合,変な励ましや慰めは自責の念を強める原因にしかならないと思います.

    親や友人を失うということ,親や友人と殺し合うということ,そして若いながら軍人になり,殺人や被殺人の経験をする.
    それってもはや人としての形が保てなくなるくらいの悲惨な出来事なわけですよ.
    俗な言葉を使うなら精神崩壊.
    専門的な言葉で言うなら,重度のPTSDを発症しているレベルです.
    そんな人間に軽い気持ちでの励ましなど,自分を責めさせるスイッチにしかなりません.
    必要なのはそんなものではなくて,そういった(言葉を選ばないならば)厄介なものを背負い込んだ厄介な人間の傍にただ寄り添えるだけの強さですよ.
    カガリにその強さはありません.
    励まそうと焦ってどつぼに嵌って,泣いて,相手に巻き込まれて悪循環になるだけでしょう.
    キラやラクスはすでに完成されていて,それゆえに他者に対する理解力に著しく欠けるので無理.
    彼らが有しているのは,すでに個人に対する優しさではなくて,人類単位での慈悲で,そして本当のところは誰に対してもそういう感情を向けていない,究極的な自己愛ゆえの帰着点に立っているわけですから,キラにはラクス,ラクスにはキラでしか理解できない,そういう域の絶望的に孤独な二人なので.
    そうなれば,イザークにしか無理でしょう!
    彼は基本的に他者に対する信頼感を持っていて,かつ自分に対する信頼感も持っている.
    それゆえに彼は,凄まじい感情の渦中で足掻くアスランにただ流されることはないし,かといって
    ただ突き放すこともない.
    そしてそれを淡々とこなせるほど完璧な人間ではない点も大きいですね.
    完璧でないゆえに他者というものを知ろうと努力するし,認めようとするし,単なる庇護ではなく,他者をこの上なく尊重し,大事にしてくれます.
    同時に自分のこともそのように扱える.
    いわば,完璧でないからこその精神の強さと他者への優しさがあるわけです.
    アスランに必要なのは,ただ傍にいて自分というものを認め,それでいいよとわざとらしくなく言ってくれる人ですから.

    アニメという娯楽に,現実の人間の心理機制を持ち込んであれこれ説明するのは滑稽かもしれませんが,仮にも戦争を描く作品で,その著しストレス環境下におかれた多感な少年の心理への理解や表現がこの程度なのは,どうかと思います.
    しかもそんな中に,視聴者サービスとして陳腐な恋愛模様を取り入れようなどとは…アニメ業界も大変なんですね.
    アニメは娯楽,商売の対象で,もうすでに芸術作品ではないのかもしれません.

    これだけ散々文句を言いつつも,結局SEEDのサイトをしているのは,イザアスを幸せにしたい気持ちに押されてのことなのでしょうね.
    イザアスを幸せにしたい!!
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