ここ最近、特に震災・原発事故以降「おためごかし」としか言いようがない言説が日本中を覆っているように感じているのはぼくだけだろうか。
曰く、「電気がなくて死ぬのは病人と老人、弱者からだ。原発を止めると人が死ぬ」。
曰く、「景気をよくしないと失業者も増え、自殺者も増え、治安も悪くなるばかりだ。まず景気をよくしなければ」。
曰く、「被災者を助けるためにも景気をよくしろ」。
全部全く同じ論法。
一見正論で、反駁しようがないように思える。
しかしもちろん、こんなものは本音じゃない。
日本の素晴らしい言葉(=概念)は「もったいない」だけではない。「おためごかし」という言葉を当てはめるとあら不思議、すごく分かりやすくなる。
おためごかし【御為ごかし】:表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。
「原発止めると人が死ぬ」というのは、「原発止めたら電気代が上がって困る」だし、「景気が悪いと人が死ぬ」というのは「ボーナス出ないとローンが払えない」だ。
だったらそう言えばいい。別にそれは恥ずべき主張ではないのだから。なぜそれを「弱者が困るだろ」と論点をずらさねばならないのか。ダシにされる「弱者」こそいい面の皮だ。
この手の論法が怖いのは、一見正論で反論しにくいだけでなく、まさにその「弱者」に相当する人さえ「その通りだよな」と真に受けてしまいやすいことだ。こんな論法を真に受けていたら、99%の貧困層が1%の金持ちを支えるような国に、あっという間に成り下がってしまうことだろう。
心から弱者を、生活困窮者を救いたいと思っているなら、「福祉の充実を。そのための増税(所得税、法人税等)なら賛成」と言うはずだ。
弱者救済の一番手っ取り早い方法は富の再分配だ。持てるものが、持たざるものを食わせてあげればいいだけの話。日本はそれすらできないほど貧しい国になってはいない。実際ニートが大勢生きていけるのも、デフレと今の親世代に当たる年金受給者が(不当なほど)たくさんもらっているおかげだろう。「落ちこぼれる人のいない国」を目指すのなら、社会主義を、高福祉国家を目指せばよい。
でも「おためごかし」の論法を使う人たちはもちろん、自分の身は切りたくない。というかすでに自分たちは「ギリギリ」だと感じている。そしてなぜか、敵視するのは大金持ちではなく、自分と近い立場にいる小市民。都知事の公費無駄遣いより、生活保護の不正受給に腹を立てる。自分は都知事になることはないが、不正受給ならやろうと思えばできるからだ。「俺は真面目にやってるのに、抜け駆けしてうまいことやりやがって」というわけ。
「原発なしには日本は立ち行かない。だから原発は必要なのだ」と言い張る人も同じ。
原発が必要で、安全なものなら人口密集地の近くに作ればいい。廃棄物処分場もだ。
米軍基地も同様。
基地や原発が、自分の街に来るとしても仕方がない、我慢できる――そういう人以外が、原発を「推進」したり日米安保を「堅持」するなどと軽々しく言えないはずだと思うのだが、安倍自民党が支持されるということは、この国の大半の人はそう思ってはいないようだ。
基地が来るのは困る。でも日米安保は必要だ。
原発や処分場が来るのは困る、でも安価で大量のエネルギーは必要だ。
――これを「我欲」と言わずして何と言うのだろう。
東日本大震災は自然災害だが、福島原発事故はある意味「天罰」だろう。普通の感覚ならそこで反省するところだが、東京を中心とする多くの日本人には「ジャブ」程度にしか感じられなかったということか。
この期に及んで安倍自民や石原が票を伸ばすような国なら、まあ滅んでも仕方ないと思うよ。