気ままな一日目

  • 拍手レス

    ちょいとばかりお暇してました.
    う~,毎日寒くて嫌になりますね.
    変に体に力が入ったり,変な姿勢になっているのか,腰と首筋あたりが痛みます.
    それでは拍手レス!

    ■11/23 14:48 「事実シリーズ。号泣…」の方
    ⇒お返事をお待たせしてすみません.
     この話,宇多田ヒカルの「桜流し」を聴いて,急遽出来上がった話です.
     私もパッとフラッシュのように思いついたままを書いたので,結局何を言いたかったのか分からずにいました.
     もはや私の制御とは別の次元でこの話は動いていたのだと思います.
     けれど,自分にとって重く捉えている部分を表現したものであることも確かでした.
     もしも大切な人,もしかしたら自分よりも大切な人がいたとして,その人が世界から酷い迫害や弾圧を受け,望みもしないことをどんどん掘り返して蒸し返されていたとしたら,そして,自分がそれに抗おうとすることで余計にその人たちの立場を危ういものにするとしたら,多分私もアスランと同じ思いに駆られるのではないだろうか,と思いました.
     両親の墓参りに行くことで,二人の子どもであることを辞めていないアスランの姿を見た誰かが,またパトリックの脅威を感じ,パトリックを非難するかもしれない,彼が最期に撫でてくれようとした自分自身を傷つけようとするかもしれない.
     アスランはそれを止めたくて,彼らの墓参りに行くことを断念したのです.
     そして彼らの人となりを知りながら手酷く罵ったのも,人となりを誰かに伝えることで逆に否定されることを恐れたため,そしてパトリックという脅威がこの世から消えたことを人々に知らせるため,ひいては両親を迫害から助け出すためだったのではないかと推測しています.
     それをするには,アスラン自身が“脅威”,つまり“パトリックの意志を継いだ”彼の子どもであることを辞めなければならなかった.
     そしてアスランはそれをただ胸の中に締まっておけるほど頑丈ではないため,同時に幸せだった記憶も一緒に葬らなければならなくなった.
     パトリックが本当はどれだけ家族思いだったか,レノアがどれだけ優しく不思議な人だったかを覚えていながら,二人に背を向けることなどできなかった.
     それがアスランの記憶の忘却と他人の拒絶と閉口に繋がるわけです.
     けれど結局,イザークにつれられるままにエレベーターに乗り込んだのは,やっぱり心のどこかで彼らの子どもである自分を捨てたくないと思ったからではないでしょうか.
     白いカーネーションは“亡き母へ”,白いバラは“亡き父へ”という意味があるのだそうです.
     だからアスランは,彼らの意志を継いでいないことは表明しながらも,彼らの子どもであるという“事実”だけは捨てられなかった.
     血の繋がった親子だという,唯一誰にも邪魔されない“事実”だけを持って生きていくと決めたのでしょう.
     この世でただ一人,イザークにだけその胸の内の苦しさと覚悟を打ち明けて.
     イザークが泣いたのは,アスランからの拒絶に傷ついたからではなく,本当はとても大事に思っている二人のことを罵ってまで守ろうとしている彼の,悲愴な決意があまりに痛かったからだと思います.
     二人の“本当のところ”を知らなくても,二人のことが大好きなアスランの“本当のところ”は分かるのでしょう.
     さて,しかしずっとこの状態でいるのかと言われれば,それは違うと思うのです.
     この話は別の話に繋がっていきます.
     世界中の誰もに知ってもらう必要はない,自分が自分を否定しなければ,知っていてほしいと思う人が知っていてくれたら本当はそれで人って満足できるのではないでしょうか.
     この世界で自分以外の誰か一人が知っていてくれたら,それってもう孤独とは言わないと思いますから.
     多分それが,レノアの言っていた“いつか”なのかなと思います.
     正直,この話にコメントをいただけるとは思っていませんでした.
     今は多少手直しをしたのですが,この話のテーマはグルグル回って私自身も見えにくいものでしたから,読んでくださった方の心に何も響くものがないのではと考えていました.
     それなのに泣いてくださる方がいたとは…嬉しかったです.
     コメントありがとうございました!



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