メモ

  • 森山直太朗はどうやら風ばかり歌っている

    僕が小学校を卒業した年に、
    森山直太朗は『さくら(独唱)』でヒットした。

    そのときからずっと聴いていて思うのだけど、
    森山直太朗は「風」ばっかり歌っている。
    「風唄」(2003)という歌もある。
    『風待ち交差点』(2006)というアルバムもある。

    もっとある。
    タイトルに風という語が入った歌を並べてみる。
    ・「風唄」(2003)
    ・「風のララバイ」(2005)
    ・「風花」(2005)★
    ・「風になって」(2006)★
    ・「未来 ~風の強い午後に生まれたソネット~」(2007)★
    ・「風曜日」(2008)
    ・「花鳥風月」(2010)★
    星印をつけた曲はシングル曲だ。
    森山直太朗はメジャーデビュー以来、18枚シングルを出しているが、
    そのうち4枚が風の歌なんである。

    タイトルに入っていなくても、風を歌ったものは多い。
    有名どころでいえば「夏の終わり」(2003)だ。

      夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
      いつかと同じ風吹き抜けるから

    代表曲「さくら」(2002)だってそうだ。

      さくら さくら いざ舞い上がれ

    ね? 風が吹いているでしょう?



    森山直太朗の歌にはとにかく風が吹いている。
    作詞は御徒町凧との共作だが、
    たぶん二人ともの趣味なんじゃないかと思う(ここは思いっきり推測)。

    二人は、風を歌う(歌わせる)ことで、何を歌いたい(歌わせたい)んだろう。
    そう考えたとき思い出したのは「生きてることが辛いなら」(2008)だ。

      何にもないとこから
      何にもないとこへと
      何にもなかったかのように
      巡る生命だから

    この歌の話をするのはちょっと意外だったかもしれない。
    なにしろこの歌には、風という語は出てこない。真正面からの命の歌だ。

    だが、その命というものが、
    ほとんど風みたいにイメージされている!

    風は物質じゃない。
    気圧の高いほうから低いほうに向かって空気が動く現象だ。
    でも、その気圧というのも「ここからここまでが高気圧」とハッキリ可視化できるものではない。
    風の吹き始めた場所をさかのぼろうにも、
    始点は見つからない。「何にもないとこ」だ。

    風がやめば(すごい風じゃなければ)、
    「何にもなかったかのように」なるのも、
    森山直太朗が歌う命と同じだ。



    書いているうちに、また別の歌を思い出したが、もうちょっと続ける。
    「生きてることが辛いなら」の歌詞は、
    「今が人生」(2004)とちょっと似ている。

      何もないこの世界に 僕たちは何処から来たのだろう
      風に舞う埃みたいな運命を纏う 蜉蝣のように

    運命とか人生を、
    風になぞらえて歌おうとしている。
    そして「僕たち」は、《風と同じで》どこから来たのかわからない!



    といっても、こういう読み方には注意が必要。
    森山直太朗が歌うすべての「風」が、
    そういう意味であるわけじゃない。
    そもそも、一つの意味しか託せない言葉を何度も歌わないだろうし。

    でも、二人が風をどんなふうにイメージしているのかは、
    「一つの意味」じゃないとしても、
    とりとめのないものではないと思う。
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