メモ
卒論のために、ちょっとメモ
「一理ある」とは、
「あるのは一理だけ」ということだ。
赤瀬川原平の『ゼロ発信』という小説からは、
「あるのは一理だけ」状態に陥らないように終始気を配る、
作者の注意深さがうかがえる。
実際、日記の体裁でつづられたその小説のなかでは、
「論理依存症」や「理屈至上主義」がしばしば問題にされる。
『ゼロ発信』は2000年だが、
92年刊の『赤瀬川原平の名画読本』でも、
「あるのは一理だけ」状態が問題にされている。
かつての時代、感覚ももちろんあったのだけど、
思想とか論理の力に引きずられて前衛芸術がはびこっていたのだ。(44p)
60年代に前衛芸術をやってきた人が、
モネやマネの絵画を鑑賞する本にある言葉だから重い。
88年刊の『芸術原論』はどうだったろうか。
「一理ある」という言い回しがあったかどうかは、
読み返してみないとわからない。
名画鑑賞に1章が割りあてられていることと、
なみなみならぬ偶然論への作者の興味から、
『ゼロ発信』と地続きであるといってもいいかもしれない。
一度、70年代の文章を読んでみないと始まらない。