メモ

  • かかとの見えるものでなく

    日雇いのアルバイトをしていた。試験監督の補佐である。
    そのうちの1時間、誰も来ないであろう場所の見張りを頼まれた。
    歳時記の代わりに、持っていたマニュアルを読んで作った。

    つまさきの先にやもりのいる日陰

    当日に持ち物そろえ夏の箱根

    ミュールとかかかとの見えるものでなく

    ラムネびん四五本持って本部の子

    公衆電話はなくなってない梅雨曇
  • 大学の4年をふりかえる(まだ途中)

    (6.24改稿)卒業したら、振り返るのもメンドーになっているはずだから、今のうちに。

    ■1年
    フランス現代思想(三ツ堀)。テクスト論(渡部)。
    渡部「批評は作品を面白く読ませるため。」
    日本文化・日本の古典文学関係の授業も取るが、
    2年次を終えた頃には飽きてしまった。


    ■2年
    書評を書く演習(貝澤)。短編を読む演習(堀江)。翻訳の演習(古屋)。
    細部の気づき、全体像の把握。優れた読解をしたい、とずっと思ってた1年。
    貝澤「(2つの小説が入った本を評する際)2つの違いを言ってもだめ。共通項を探せ。」


    ■3年
    身体論、全体主義文化論(貝澤)。メディア論、テレビ文化論(長谷)。
    関心がいっきに歴史や社会、非言語のものに傾いた。
    長谷「資本主義って『楽しい』んだよ。
    (批判しやすいけど、楽しんじゃってるんだよ。)」


    ■4年(まだ春期の途中)
    文芸批評と哲学のとらえなおし(東)。ロシア現代文学(高柳)。
    東「批評は文学と政治の関係を語るもの。」


    ■まとめ
    丹念な作品読解だけしてればよいと思っていたが、
    文化の歴史を把握するほうに興味が変わった。
    また、自分のいる環境のことを考える際、
    いわゆる日本文化論よりも、メディア論のほうがずっと切実に思えた。
  • 赤瀬川原平・尾辻克彦論メモ (1)小説の生まれる場所

    前衛芸術家として多数のエッセイを書いていた赤瀬川原平が、
    小説家・尾辻克彦になるには「胡桃子」という人物の登場が不可欠だった。
    胡桃子は主人公の娘であり、話し相手である。
    作者によく似た主人公が親しい相手と一対一の対話を続けるというのは、
    尾辻克彦の小説の基本的な形である。

    胡桃子がいないときは「美学校の生徒」と話している。
    実際に会って話すこともあるが、電話が多い。
    社会学者吉見俊哉のいう、
    (「用件電話」ではない)「おしゃべり電話」だ。
    『カメラが欲しい』の文庫解説によれば、
    赤瀬川原平は美学校の生徒とカメラについて長電話していたらしい。
    新聞連載小説『ゼロ発信』が、
    電話の場面から書き始められていることも思い出されたい。

    作家論として大事なことは、
    電話のおしゃべり以外のおしゃべりも電話的に書かれているということだ。
    つまり、小説の描写が話し相手の声以外の身体性を捨象しているのだ。
    尾辻克彦の小説は、親密な「おしゃべり電話」の空間に生まれる。
  • 『東京オアシス』は「そんな遠いところは想像つきません」の映画

    『かもめ食堂』シリーズは、
    「ちょうどいいところ探し」の映画。

    『マザーウォーター』の、
    「自分にとってちょうどいいところって
     なかなかわからなかったりするんですよね
     ちょうどいいところも変わっていたり」
    というセリフで気づいた。

    自分探しとは、一応、区別したい。
    結局は一緒かもしれないけれど。

    ここで作品の舞台を整理。
    ・2006年 『かもめ食堂』 ヘルシンキ
    ・2007年 『めがね』 与論島
    ・2009年 『プール』 チェンマイ(タイ)
    ・2010年 『マザーウォーター』 京都
    ・2011年 『東京オアシス』 東京

    『マザーウォーター』までは、
    都市の風景から逃れる映画だった。

    『東京オアシス』の3つあるエピソードのうち、
    1つ目のエピソードがその名残りだ。
    小林さんが加瀬くんの車に乗って海に行くエピソード。
    (↑ついつい俳優の名前で呼んでしまう。)

    ところが、エピソード3では、
    東京を出たことがない女の子が登場する。
    いろんな世界を知っている小林さんに、
    「そんな遠いところは想像つきません」
    「だってここは安全だから」
    という。

    『マザーウォーター』までの登場人物は、
    苦労しているふうは見せないけれど、
    それでも「探す」という能動性があった。
    銭湯で働いている男の子は、
    うじうじしているけれど、なにか探している。

    でも、「探す」「探さない」の前に、
    「皆目見当がつかない」状態がある。
    『東京オアシス』はその状態を、
    新たなモチーフとして取り込んだ、
    「そんな遠いところは想像つきません」の映画。
    というふうに、自分なりに整理しておく。
  • 卒論のために、ちょっとメモ

    「一理ある」とは、
    「あるのは一理だけ」ということだ。

    赤瀬川原平の『ゼロ発信』という小説からは、
    「あるのは一理だけ」状態に陥らないように終始気を配る、
    作者の注意深さがうかがえる。

    実際、日記の体裁でつづられたその小説のなかでは、
    「論理依存症」や「理屈至上主義」がしばしば問題にされる。

    『ゼロ発信』は2000年だが、
    92年刊の『赤瀬川原平の名画読本』でも、
    「あるのは一理だけ」状態が問題にされている。

     かつての時代、感覚ももちろんあったのだけど、
     思想とか論理の力に引きずられて前衛芸術がはびこっていたのだ。(44p)

    60年代に前衛芸術をやってきた人が、
    モネやマネの絵画を鑑賞する本にある言葉だから重い。

    88年刊の『芸術原論』はどうだったろうか。
    「一理ある」という言い回しがあったかどうかは、
    読み返してみないとわからない。
    名画鑑賞に1章が割りあてられていることと、
    なみなみならぬ偶然論への作者の興味から、
    『ゼロ発信』と地続きであるといってもいいかもしれない。

    一度、70年代の文章を読んでみないと始まらない。
  • 森山直太朗はどうやら風ばかり歌っている

    僕が小学校を卒業した年に、
    森山直太朗は『さくら(独唱)』でヒットした。

    そのときからずっと聴いていて思うのだけど、
    森山直太朗は「風」ばっかり歌っている。
    「風唄」(2003)という歌もある。
    『風待ち交差点』(2006)というアルバムもある。

    もっとある。
    タイトルに風という語が入った歌を並べてみる。
    ・「風唄」(2003)
    ・「風のララバイ」(2005)
    ・「風花」(2005)★
    ・「風になって」(2006)★
    ・「未来 ~風の強い午後に生まれたソネット~」(2007)★
    ・「風曜日」(2008)
    ・「花鳥風月」(2010)★
    星印をつけた曲はシングル曲だ。
    森山直太朗はメジャーデビュー以来、18枚シングルを出しているが、
    そのうち4枚が風の歌なんである。

    タイトルに入っていなくても、風を歌ったものは多い。
    有名どころでいえば「夏の終わり」(2003)だ。

      夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
      いつかと同じ風吹き抜けるから

    代表曲「さくら」(2002)だってそうだ。

      さくら さくら いざ舞い上がれ

    ね? 風が吹いているでしょう?



    森山直太朗の歌にはとにかく風が吹いている。
    作詞は御徒町凧との共作だが、
    たぶん二人ともの趣味なんじゃないかと思う(ここは思いっきり推測)。

    二人は、風を歌う(歌わせる)ことで、何を歌いたい(歌わせたい)んだろう。
    そう考えたとき思い出したのは「生きてることが辛いなら」(2008)だ。

      何にもないとこから
      何にもないとこへと
      何にもなかったかのように
      巡る生命だから

    この歌の話をするのはちょっと意外だったかもしれない。
    なにしろこの歌には、風という語は出てこない。真正面からの命の歌だ。

    だが、その命というものが、
    ほとんど風みたいにイメージされている!

    風は物質じゃない。
    気圧の高いほうから低いほうに向かって空気が動く現象だ。
    でも、その気圧というのも「ここからここまでが高気圧」とハッキリ可視化できるものではない。
    風の吹き始めた場所をさかのぼろうにも、
    始点は見つからない。「何にもないとこ」だ。

    風がやめば(すごい風じゃなければ)、
    「何にもなかったかのように」なるのも、
    森山直太朗が歌う命と同じだ。



    書いているうちに、また別の歌を思い出したが、もうちょっと続ける。
    「生きてることが辛いなら」の歌詞は、
    「今が人生」(2004)とちょっと似ている。

      何もないこの世界に 僕たちは何処から来たのだろう
      風に舞う埃みたいな運命を纏う 蜉蝣のように

    運命とか人生を、
    風になぞらえて歌おうとしている。
    そして「僕たち」は、《風と同じで》どこから来たのかわからない!



    といっても、こういう読み方には注意が必要。
    森山直太朗が歌うすべての「風」が、
    そういう意味であるわけじゃない。
    そもそも、一つの意味しか託せない言葉を何度も歌わないだろうし。

    でも、二人が風をどんなふうにイメージしているのかは、
    「一つの意味」じゃないとしても、
    とりとめのないものではないと思う。
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