久々に読み直したら京極に再熱しました。
一度最盛期のころを知ってると、現在のブームの下火が少しだけ物悲しくなりつつ、そんなの関係ねえ!萌えるものは萌えるし誰かしら今萌えてるんだ!って鼓舞してます。
どこに吐き出したら良いのやら想いは募るばかりでいる今日この頃。
そんな世迷言です。
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CP論については根深いです
京関/榎関/榎益/青益青/青木場あたりが好きだと思います
榎京は本来大好きであろう組み合わせなのですが、
昔はどうしても榎京が苦手だったので条件反射で血が騒いで拒否してるのではないかと思いました。
さて本題の京関について。
頑なに「友人」ではなく「知人」と言い通すのは、やはり関口くんを慮ってって味方が正しいのではないかなと思いました。今回読み返すまでは、十割方、「こんなものと友人と思われたくない・関口いじめの揶揄」だと捉えてましたが、
宴を読んだらまた考えが変わってきました。勿論揶揄する意味も含まれてると思いますが、関口は鬱をこじらせていて、学生時代から交友関係?人間関係に名前をつけて捉えるのが苦手、みたいな描写があり(うろおぼえ)、妻、である雪絵さんにも怯えていているようでした。それが久遠寺の事件があってから尚更のこと。身内でさえ、こうした切り取られ方をする、それに嫌悪を覚える、彼を慮り、気安く関係を続けさせるためにも内なる「友人」ではなく、「知人」と外からカテゴライズしてあげてるのではないかなと。
そして、こち亀小説版のぬらりひょんの褌に続きます。
そこでわかるとおり、はじめて、彼が亡くなってから、「友人」と呼べるようになったのだな、と感じました。
関口くんのことを語る口調からは、懐かしさだけじゃなく、好意的な感情が滲み出てるように思えたのです。
思い出すようにして目を細めてますからね笑
私は読み返しては泣いてます笑
いつどんな亡くなり方をしたのかはわかりませんが、きっと晩年までも京極堂と仲良くしていたのでしょう。まさに腐れ縁。
最後まで関口を癒やし、祝い、救い続けてたのだなあと感じました。
まさに京関の美学!!
つーかそれにしても中禅寺さんは、関口いない時や関係ない時まで話しのネタにするの好きね!!