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  • プロレスと電子書籍 by 喜多野土竜 @mogura2001

    【プロレスと電子書籍】

    日本のプロレスはスッカリ下火になっていますが、まだ元気だった時代の話を。アメリカではWWE(オールドファンにはWWFまたはWWWF)が全国制覇しましたが、昔はニューヨークを中心とした弱小団体でした。全米的にはNWAが最大の団体で、他は弱小。

    自分たちの世代だと梶原マジックに乗せられて、NWA・AWA・WWFを世界三大タイトルなんて言ってましたが、実際はNWAが独占禁止法に触れないように、存在を見容認されただけ。アメリカは独禁法の縛りが強く、Appleが倒産すると困るのはMicrosoftと言われたのはこのため。

    そもそも、NWAは全米のプロモーター(興行主)の寄り合い団体。そこは日本の大相撲の地方巡業のシステムに似ていて、チャンピオンが全米をサーキットし、地元の英雄と戦うという構図。これに対して、代替わりしたWWFのビンス・マクマホン・ジュニアがケーブルテレビを利用し、攻勢に出る。

    ケーブルテレビの資金力と、ハルク・ホーガンという選手を獲得してWWFは人気を高め、もともと寄り合い所帯のNWAは勢力を弱め、内部ではジム・クロケットやフリッツ・フォン・エリックなど独自興行を打つ興行主が続出、さらに勢力減退。だがジム・クロケットもWWFに興業戦争に敗れる。

    しかしここで、WWFの隆盛を見て、CNNの創業者にしてメディア王のテッド・ターナーがクロケットの興行権を買収して、WCWが発足。こうして両団体は激しい興業戦争を開始する。さすがに資本力の差は圧倒的で、有力選手をWWFから引き抜き、ついにWWFの象徴のホーガンまで移籍する。

    視聴率戦争でもWCWが優位に立ち、WWFは苦境に。ここでWWFは視聴率戦争から一歩引き、まずはハウス興業の充実を図る。実際に会場に足を運び、金を払ってくれる客を大事にして、彼らが次の興業でも来たいと思わせるような、試合内容の充実を選手に要求し、マクマホン氏も陣頭指揮した。

    何をプロレスの歴史を延々語ってるんだと思った方、ちゃんと電子書籍と関係がある。テレビの視聴率を「単行本の売上」に、ハウス興業を「雑誌の一話ごとの読み応え」に置き換えれば、ここ10年の出版社の状況と、いろいろと通底する部分が見えてくるのではないか?

    ライバル会社の人気作家を引き抜き、それで単行本は莫大に売れ、会社に利益をもたらす。それはサラリーマンとしては正しい業績の上げ方のひとつではある。問題は、その作家(作品)に、ハウス興業に耐え得る訴求力、次の興行に客を呼ぶ力があるか(あ、興行をずっと誤変換してた!)。

    テレビの視聴者は、ほぼ毎回視聴しているので、前の興行でコイツが裏切って、今回はその制裁マッチが組まれたとか、かなり長いスパンで流れを追う。ハウス興行に来る客もその流れの人間は多いが、当然一見さんも多い。その一期一会の客の心を掴み、次に繋げられるかが重要。そこに熱が生まれる。

    ケーブルテレビを利用して一躍時代の寵児になったWWFは、苦境で興行の基本に立ち返って、ついにWCWとの興行戦争で、視聴率でも逆転する。WCWは内部的な問題を抱え、求心力を失い、また親会社のアイム・ワーナーの赤字部門切り捨ての方針によって瓦解。テレビも撤退し、WWFが買収へ。

    WWFがどの雑誌で、WCWがどこかの憶測は読む人の判断に任せるとして(笑)。1995年に漫画バブルが崩壊し、1997年に発行部数首位の座を奪われたジャンプは、Dr.マシリトのモデルになった編集長が新人育成に力を入れて、2001年に退くまでの間に、多数のヒット作の種を撒く。

    翻って、日本のプロレス。衰退の原因は、総合格闘技の慎重や、暴露本の問題など多種あると思う(個人的にはターザン山本排除の動きあたりで嫌気がさした)。日本のプロレスはテレビ依存で、地上波テレビがないと地方興行は難しく、テレビが付かない団体は多くが消えて言った。

    後の総合格闘技ブームを用意する、プロレスの格闘技スタイル導入の時期、日本にはその路線とはまったく別の、インディープロレスが生まれる。開拓者は剛竜馬のオリエンタル・プロレスだったが、これは短期で瓦解。大仁田厚のFMWが、真逆のキワモノ路線で一気にブレイクする。

    膝を壊して一度は引退した大仁田には、従来のプロレスは難しかったし、格闘技風プロレスはもっとムリ。そこでノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型地雷爆破マッチのような行う。キワモノと揶揄されたが、このスタイルはハウス興行においては、大きな力を発揮した。いやハウス興行にこそ適していた。

    例えば、電流爆破をテレビで見ても、その爆発音はテレビの音量の限界以上は伝わらない。爆破の閃光も同じ。だが、会場に入れば爆破音は耳どころか全身を震わせ、閃光は網膜に残像を残し、息を飲むとなりの観客の動きさえも場を盛り上げる要素となる。これぞライブの力!

    もっとも、FMWはその後悲劇の団体になるのだが、そこは割愛。そうやってFMWがテレビという援助がなくても、興行で何とか黒字を出せる可能性(あくまでも可能性)を見せると、雨後の筍のように全国にインディー団体が乱立。こんなにもプロレスラーになりたい人間がいたのかというほどに。

    この状態、実は最近の電子書籍の動きにもちょっと似ている。テレビ局(出版社)という大きな後ろ盾がなくても、個人が少人数で、試合(作品)のクオリティーをのみ頼りに、自主興行を打てる可能性。ただ、現実は甘くない。インディー団体のエースは、かつてのメジャー団体の所属選手が多い。

    佐藤秀峰先生とか、やはりメジャーな出版社のメジャーな雑誌でヒット作を飛ばした実績(と資本金)がある。まったく無名の新人が徒手空拳、作品のクオリティーだけで売れるのか? 現在のヒット漫画家のように単行本が出るたびに数千万円以上の印税が入る状態を売れると規定するなら、まずムリ。

    ただ、己の身を養い、好きなことで何とか食っていくだけなら、可能かもしれない。そこで参考になるのが、みちのくプロレス。地方興行を考えるなら、テレビが付かないとプロレス興行は地方では苦戦する。第一次UWFも、これで苦戦した。都市部で破客が入っても、地方では難しい。

    だがそれは、地方巡業と年間200試合いう力道山の時代のスタイルに固執して、パラダイムを転換できなかったせい。地方を切り捨て、大都市圏で大きな興行を打ち、黒字を出すという方向にシフトしたのが第二次UWF。他のインディー団体もそれに習ったが、みちのくプロレスは逆を行った。

    名前のとおり東北を主戦場とし、小さな公民館や体育館を借りての興行。客は何十人から、多くても300人レベル。それではとても食えないと思うかもしれないが、例えば格闘技興行のメッカ・後楽園ホール(JR水道橋・約2000人収容)と比較してみればいい。

    平日9時から22時の間、6時間で63万円。土日祝の16時から21時の使用は102万9000円。これにいろいろとオプションが付く。それでも交通の便も良く、確保するのは簡単ではない。ところが、東北の公民館や体育館は、5千円とか1万円とか、時には好意で無料とか。この差は大きい。

    もちろん、それでも興行は大変だが、近場の町村で興行して移動距離を短くするとか、工夫次第でいろいろ可能。加えて、みちのくプロレスのスタイルは、空中殺法を主体としたメキシコのルチャ・リブレがベースなので、一見さんにも分かりやすく、楽しい。親子で楽しく観戦できる。

    会社を起こしたグレートサスケは、岩手の進学校を卒業していて、地元に伝手もある。よく調べたら、牛しかいないように見える東北の寒村でも、数百人レベルは人口があるので、娯楽が少ない東北ならば、受ける可能性はある。またメキシコ修行時代、そういう小規模会場での興行も経験した。

    冷徹な計算と、メキシコでの経験、支えてくれる仲間たち、地の利……様々な要因が重なって、みちのくプロレスは船出に成功。ここら辺が、電子書籍を考える上で、ヒントになるのではないだろうか? 現行の出版社と敵対したり取って変わるものではなく、身の丈に合った食い扶持の確保と。

    みちのくプロレスも初期では苦戦したが、横のつながりでFMWの試合にゲスト参戦したり、ジュニアヘビーを盛り上げたいという思いがメジャー団体の新日本プロレスの獣神サンダーライガー選手を動かし、ジュニアヘビー級のインディ団体の選手が多数参加するワンナイト・トーナメントを開催する。

    そうやって世間の耳目を集める事で、インディー団体の選手にもスポットを浴び、地元に戻っての興行でも観客動員がプラスに働く。この後、みちプロは看板選手の怪我や内部分裂とか紆余曲折があるが、パス。少なくとも、電子書籍を開拓したい作家と、出版社の関係において参考になるのではないか。

    例えば漫画onWebから出てきた才能に対し、出版社側からのアプローチがあれば『出稼ぎ』に行ったり、肌が合えば『移籍』したり、やはり出版社の縛りを離れたテーマを描きたいので電子書籍に腰をすえるとか、選択肢が柔軟にあってもいいのではないか? ウィンウィンの関係を模索できればい。

    もちろん現状は、紙のほうで実績がある作家が電子書籍へという方向のほうが主流。同人誌からメジャー誌へという流れが多数派にはならなかったように、電子から紙への流れは、それほど大きくはならないだろう。経由地は変わっても、才能の絶対量はそうそう変わらないものだとも思う。

    ただ、出版社の編集が作家を育てるノウハウを継承・確立できず、同人誌やエロ系から即戦力スカウトし、編プロの育てる能力のある人間を正社員登録している現状では、電子書籍の方で吉本興行の育成システム宜しく弱肉強食の中で生き残ったものをスカウトする形式は、メリットもある。

    もちろん、そこから育つ作家は、ジャンルや内容に偏りが生じるし、ニッチな市場には訴求しても、大衆には届かないマニアックなタイプが増えるだけという危険性がある。ただ、そこを踏まえても、やる価値はあると思う。ただし、やるなら吉本興行の育成システムを参考にすべきかと思う。

    吉本の場合は、新人に場を与えて、そこから実際に観客に受けた人間が生き残っていくシステム。ただ、それだけではない。昔は芸人は、師匠に弟子入りして芸を学び・盗み、育つもの。ところが吉本はそれを解体し、学校教育システムを構築した。ダウンタウン以降、そのシステムは成功している。

    旧来の徒弟制度が、原稿をシュレッダーにかけて作家の奮起を促し、作家も応えるという情のつながりであったのに似る。ただ、一色先生も言うように、頻繁に人事異動がある出版社のシステムでは、そういう徒弟制度的な作家と編集の関係は構築しづらい(ただしジャンプ系は比較的長く在籍する)。

    3年から5年の短期で人事異動で動かされるなら、ジックリ新人を育てるより、他社から人気作家を引き抜くほうが、少なくとも単行本売上という点では実績になる。総合出版社では人事異動のシステムは簡単に変えられないなら、他の畑からのスカウトは必然である。ならば、畑と連帯も可能なはず。

    漫画onWebやそれに類する電子書籍発表の場が、吉本総合芸能学院(NSC)的な機能を持ち得れば、出版社と連帯しての関係も構築できるかもしれない。その試みに近いことは、佐藤先生と一色先生共作のネームの修正過程を公開して、すでに行ってはいるが。

    残念ながら、編集崩れが電子書籍会社を起こしいろんな作家に声をかけまくって、一山当てようとしても、難しいと思う(実際そういう怪しい勧誘は多い)。作家育成は名人芸的なもので、既成の作家を利用できても、新人は育成できない。育成できないと、将来的には先細りになるのは確実。

    例えば、専門学校のマンガ学科では、有名出版社の編集長クラスを招いて、講演してもらうことが多い。ところが、先月の編集長が否定していた手法を目の前の編集長は絶賛し、翌月の編集長はまた違うことをいい、混乱した経験がある投稿者は多いだろう。それぐらい、名人芸なのだ。

    個人的な作家育成システムを提案するなら、2年ぐらいのスパンで教え、最初の1年は概論を教え、次の一年は自分と価値観を共有できる先生をチョイスするゼミ形式でないと、難しい。まぁ、コレも一種の徒弟制度。投稿者の場合はいろんな出版社に持ち込み、相性の合う担当を探す作業をするのだが。

    けっきょく出版社のシステムの良いところは、ダメ編集も含めていろんなタイプを抱えることで、打率の高いタイプや一発のある対応、守備だけは凄いタイプのように、「ムダを飼っておける基礎体力」にある。ここら辺は中国戦国時代の政治家・孟嘗君の、『鶏鳴狗盗』の故事と同じである。

    会社に体力がある内は、ムダも抱えられるが、会社が売れる根拠を求め、博打的な出版を認めなくなると、編集者は堅く堅くしか動けなくなる。長期的に見れば、そこは損失になる。だが、未来の損失は未来にならないと、証明できない。一部の優秀な編集が、呼び屋と聞かせ屋を育てることで対処する。

    最後に。一度は潰れかけたAppleが、直営店で日銭を確保し、対面修理で顧客のニーズを聞き、情報を自分から発信した手法は、WWFとWCWの興行戦争にも似る。今Appleは好調だが、また冬の時代が来るだろう。その時はやはり、本業における王道・本道に回帰する意志が重要ではないか?

    ー了ー

    2011年1月9日
    喜多野土竜 @mogura2001
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