長文倉庫

  • 死刑制度について

    mixiに十年前に書いたもの。ほぼ今も考えは変わっていないので転載。


     死刑制度について

     光市事件の判決が出た後、死刑制度廃止を望んでいらっしゃるあるマイミクの方の日記に、つい「死刑制度をなくすのは反対だけれど、もしなくすなら最低限終身刑の設置と復讐権を望みます」という意味のことを書き、何度かその方や別の方とコメントの応酬をしたのだけれど、どうも根底にある価値観が違っているようで、向こうの言葉も理解できないし、こちらの言葉も通じないようだった。  
     思うに、死刑制度廃止を訴える人は、「絶対に人を殺してはいけない」「人の命はどのような人であっても尊い」といった価値観を持っているのだろう。いや、死刑制度存続を訴える人の多くもまた、その価値観には同意するのかもしれない。  
     でもぼくは、実のところ「いかなる場合でも人は殺してはいけない」「殺人は究極の罪である」というふうにはそもそも思ってないのだ。  
     もちろん、重い罪であることは確かだし、できることならそんなことはしたくないし、誰も人を殺さない世界が来たら理想的だ。  
     でも人は――生き物はすべて、いずれ死ぬ。どうせ放っておいても死ぬものを、何年か何十年か寿命を縮める行為が殺人だ。人間のその後の時間とか可能性とかを奪いさる行為だとも言える。少し前に、「乳児の殺害は0.5人分」とブログに書いて炎上した準教授がいたらしいが、ぼくの考えを推し進めると、逆に赤ん坊を殺す罪の方が重い、ということにもなる(あんまりそうすっきりとは整理できないけど)。  
     殺人という罪が大したことない、というつもりはなくて、それよりも、人間の尊厳を損なうような、たとえ生きていてもその後の人生を大きく狂わせてしまうような行為の方がよっぽど罪は重いし、許し難いように思う、ということなのだ。たとえば性犯罪などの最高刑を死刑にしても構わないと思っているし、それが無理でもせめて「去勢」という刑はぜひとも導入してほしいと思っている。  
     そういう価値観の下に生きていると、死刑制度の何が「野蛮」なのか、犯罪者を抹殺することに対してなぜあそこまで強く抵抗を抱く人がいるのか、さっぱり分からないのだ。  
     ある種の左翼系の人たちの中には(ぼくは自分も充分「左」だと思っているのだが)国家に対し殺人の許可を出すことに抵抗している人もいるようだ。冤罪を恐れている人も多い。でもそれはそもそも、警察権力とか司法制度、立法制度に対する不信感であって、「死刑制度の是非」とはまったく別の問題だとしか思えない。  
     特に、「冤罪」。「冤罪の可能性があるかぎり、取り返しのつかない死刑という刑はなくしてほしい」という死刑廃止論者は多い。多いのだけれど、こういう言葉もぼくにはまったく説得力のある意見とは聞こえない。  
    「冤罪」は「あってはならないこと」である。死刑制度があるかないかとは全く別に、捜査方針や司法制度の中で限りなくゼロに近づくよう考えていかねばならない問題である。「冤罪があるから」「死刑をなくせ」というのは本末転倒だし、一方また、「死刑じゃなくても冤罪は取り返しがつかない」とも思う。20年刑務所にいたけど冤罪が晴れてよかったね、死刑になってたら取り返しがつかないところだったね、というふうにはとても思えないのだ。その20年は返ってこないし、その間の精神的苦痛は想像もできない。たとえ痴漢であっても、冤罪を着せられ、多くの人に白い目で見られて会社をクビになって……などと想像するのは何とも恐ろしい。鹿児島の選挙違反事件で冤罪を着せられた人たちの悔しさもまた、相当なものだったろうと思う。  
     少し前まで、まったく執行命令を出さない法務大臣もいたせいで、あんまり死刑は行なわれてこなかった。ちゃんと調べたわけではないが、事実認定(やったかやってないか)で疑いが残りつつ死刑判決が下り、なおかつ執行された例というのは、現行制度ではほとんどないのではないだろうか。冤罪の可能性をどれほど大きく見積もったところで数年に一人の話。交通事故死でいまだ数千人が死に、自殺者は三万人という現在、とても重要なポイントとは思えない。平沢貞通(さん、と言うべきか?)が九十五まで生きたのも、法務大臣に執行を躊躇わせるものがあったわけだ。一応は、様々なフェイルセーフ機能が用意されているということか。鳩山現大臣はこの半年足らずで十人執行したということらしいが、溜まり続けていたのだから彼を鬼畜呼ばわりするのは筋違いだろう(人間としては馬鹿丸出しだと思うけど)。これまでの法務大臣が法律を無視していたわけで、そんな人間はそもそも法務大臣職に就くべきでない。  
     話がそれたが、「死刑」は確かに国家による殺人で、我々国民はそれに加担させられている。それを気持ち悪く思うのはある程度当然のことではある。  
     でも、たとえば日本は「軍隊」を持たないと言いつつ人殺しの道具を山ほど購入して実質上の軍隊を育てているし、とても「防衛」になるとは思えないクラスター爆弾まで保有している。アメリカのイラク攻撃も支持し、協力した。日本国民はイラクでの大量殺戮に加担したわけだ。戦後日本で執行された死刑が全部冤罪だったとしても比べようもないほど、無辜の市民が殺された攻撃だ。  
     ヨーロッパの多くの国やアメリカのいくつかの州では死刑を廃止し、国連は条約まで作っているようだが、本当に「人権」のことを考えて廃止しようとしてるんなら、犯罪者よりまず何の罪もない人を殺すのをやめろよ、と言いたい。町を爆撃しといて、何が「犯罪者の人権」なんだか。  

     死刑廃止論者の論理のうちで唯一心を動かされるのは、刑務官のことだ。実際に死刑を執行しなければならない人間のストレスは、人によっては耐え難いものだろう。  
     現在は確か、複数の刑務官が同時にスイッチを押して、誰が「当たり」を押したか分からないようになっているはずだが、だったらそこに遺族とか検察とか法務大臣とか一般見学者とかを混ぜてもいいのではないかと思う。死刑に犯罪の抑止力があるというのなら、もっと開かれたものでなければならない。  
     現代人は、鶏が絞められるところも、牛が解体されるところも見ないまま、切り身になった肉、すでに調理された肉をおいしいおいしいと食べることができる。殺されるところを見なければ食べられないとしたら、今より遙かに多くの人間がベジタリアンになることだろう。でもぼくはベジタリアンになるより、他の命を奪って生きていることを直視できる人間になりたい。実際に屠畜に関わり、自分たちに代わって殺してくれている人たちがいることも忘れたくない。  
     死刑もそれに似ている気がする。現在の死刑はあまりにも国民から隠され過ぎている。そのことがもしかすると、死刑存続派の増加に繋がっているという面はあるかもしれない。犯罪の報道は詳細にされるのに、死刑の実態は見えてこないからだ。  

     コメントの応酬をしている時、死刑廃止派の方から「そうまでして誰かを死刑にしたいというメンタリティが分からない」と言われた。少し誤解されているようなのだが、「死刑制度を存続させること」と「誰かを死刑にすること」は別のことだと思う。死刑制度があるから死刑があるのではない。死刑制度がある中で、死刑になるような犯罪を犯す奴がいるから死刑になるのである。どのような罪が死刑に値するかは、個々の裁判でじっくり議論してもらえばいい。もし、多くの人が「これくらいでは死刑は重すぎる」と思うのであれば、少しずつ死刑は減っていくだろうし、死文化したって構わない。でも、死文化しても、万が一に備えて選択肢は残しておいてもらいたい。  
     あるいは逆に、「死刑では足りない。カンタン刑を導入せよ」というふうに世論は変わっていくかもしれない。だとしてもぼくは大賛成ですけどね。選択肢が増えるのはいいことだもの。  
     そういう意味で、コストの問題があるのかもしれないが、とにかく一刻も早く終身刑をまず導入するべきではないかと思う。終身刑とか、懲役二百年とかの判決が出せるなら、裁判官だってそっちを選ぶケースは多いのではないだろうか? 素人の裁判員たちならなおのことだ。刑務官と同様のストレスに素人が果たして我慢できるだろうか? 死刑判決は確実に減ると思うのだが、どうなのだろう。(2008.4.30記)
  • アベノミクスで自殺者数一万人減はトンデモの詭弁

     菊池氏は、科学者でもあるし、放射能のトンデモさんとも戦っていらっしゃるのだから、きっと統計データを見ることも、ぼくよりずっと慣れていらっしゃるだろう。正直、経済学も統計もぼくは決して得意ではない。しかし、興味を抱いてじっくり見れば、ある程度のことは分かる、つもりだ。
     菊池氏の物言いは、恫喝そのものだ。ややパラフレーズを許してもらいたいが、言っていることは「アベノミクスによって自殺者は一万人も減った」「民主党の政策は弱者に冷酷(つまりは民主党のままなら年間一万人余計に死んでた)」「国民の命を大切にするなら金融緩和を続けるしかない」ということだ。正確にそうは言ってないにしても、そのような「印象操作」であることは間違いない。これは、安倍政権を英雄と褒め称えるにとどまらず、民主党政権を殺人者呼ばわりする、極めて強烈な批判でもある。そんなことを言うからには相当の根拠、確信が必要だと思うのはぼくだけだろうか。
     上記のような言説がそれなりに確からしいと思われるにはどれだけの条件が必要だろうか。
     1)第二次安倍政権の金融緩和によって、経済弱者の雇用状況、生活状況が確かに改善しているというデータ。
     2)自殺者数が本当に一万人前後減っていて、それは雇用の改善や生活改善によると思われること。

     最低でもこの二点が揃わなければ、「アベノミクスで一万人減」「民主党時代に戻れば大変なことに」「経済政策の失敗は戦争よりも交通事故よりもたくさんの命を奪うからです」などという脅しは根拠のない「デマ」と言っていい。デマは菊池氏の一番嫌いなもののはずだ。菊池氏がもし、細かいデータを調べもせずに発言していたのなら無責任極まりないし、もしよく知った上であえて言い続けているのなら悪質だ。

     とりあえずまず、新しめのデータを見てみよう。
    https://mainichi.jp/articles/20180119/k00/00e/040/205000c
    自殺者2万1140人、8年連続減 未成年者は増 毎日新聞

    「年間自殺者数はバブル崩壊後の98年に急増して以降、3万人超が続いたが、10年から減少傾向に転じた。」
    「厚労省は減少について、景気回復や、自殺対策基本法制定(06年)以来、対策が進んできたためとしている。」

     減少は「10年から」、自殺対策基本法制定(06年)といった辺りにご注意。

     細かいデータはこちらの方が見やすいだろう。
    http://www.t-pec.co.jp/statistics/suicide.html
     最大のピークは平成15年(98年。小泉政権時)にあり、そこからほぼ緩やかに、そして平成23年(2011年。民主党時)あたりからやや急激に下がり続けていることが分かる。
     2008年のリーマンショックや2011年の震災、原発事故は社会に多大な影響を与えたはずだが、自殺者数からはあまり見えてこない。

     これだけ見ても、アベノミクスが効果があったにしろ、「一万人救っている」などという数字は過大にも過ぎるということは十分に分かる。「アベノミクスの効果が発生してから」と考えると、平成25年からとして五千人減っているということは言えるかもしれない(もちろん、減った数を累積すればそれなりの数になるが、それは自殺者数も同様)。

     それまでの減少傾向を無視すれば、「アベノミクス以降、五千人の自殺者減」はとりあえず統計上は言える。では、その自殺者減の理由は? 景気拡大のおかげ?

     そもそも、最初に「アベノミクスで一万人減」的な報道を見た瞬間に、直感的に「そんなはずないやろ」と思ったものだ。普通、思わないだろうか? 自分自身の周りはもちろん、どの街角アンケートでも「景気回復の実感はない」が多数を占めている。国全体の雰囲気が、民主党時と比べて劇的に何か変わった気もしないのに、三万人が二万人? 盛りすぎちゃう? と思ったものだ。一万人が実は五千人でしたと聞いたところでその違和感は変わらない。
     ちょうどさっきのページの下の方の円グラフに興味深いデータがある。原因・動機別自殺者数だ。一番多いのは「健康問題」で50%。そしてその次が「経済・生活問題」でがくんと減って16%。
     少々大雑把な言い方だが、「景気がよくなっていれば自殺しなくて済んだ人間」は自殺者数の16%に過ぎないということだ。しかも経済困窮者は「失業者」だけじゃない。就労不能者、高齢者は景気がよくなったってどうしようもないし(物価が上がればその方が困る)、そもそも自殺を思い詰めるほど職に就けないでいる人間は、少々景気がよくなったところで、就職できるのは最後の最後ではないだろうか。五千人減の一体何パーセントが景気拡大のおかげだと言えるのか、ぼくには分からない。

     そして、そもそもこれらの警察発表の統計はどこまで信のおけるものなのかという疑問を投げかける人もいる。
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/lifex/198569/1
    自殺者7年連続減に“トリック”  元刑事・飛松五男氏が解説 日刊ゲンダイ

     これは昨年の記事だが、
    「警察庁の「死体取扱数等の推移」を見ると、「変死体」の数は10年前には1万2747体だったが、一昨年は2万211体と約8000体増えている。比例するように自殺者数はこの10年間で8000人減っているのだ。」

     自殺対策基本法の内実は分からないが、自殺者を減らそう、という強い号令がかかっていることは間違いない。その圧力が、これまで自殺者としてカウントしていたようなケースを「変死体」にしてしまっている可能性は十分考えられる。そして、もしそうでなかったとしても、「変死者」が増えていることは間違いないわけだ。たとえ変死者が増えても、自殺者が減っているんだから社会はよくなっている――そんなふうに思える人がいるだろうか?
  • 菊池誠氏との対話から

     先日、ツイッターにおいて、@kikumacoこと大阪大学理学部物理学科教授の菊池誠氏とアベノミクスに関するやりとりをした。ぼくは元々、「議論」する気もなかったのでリプライでもなければ名指ししてのツイートではなかったのだが、ぼくの以下のツイートが発端ではある。

    よく「経済は命を守ることだ」「経済が弱くなれば弱者こそ死ぬ」的なことを言う人がいる。一見もっともらしいが、それ、ただのおためごかしだから(何度でも言う)。本当に弱者や失業者の心配をしている人は「福祉の充実」「セーフティネット」が最大の主張のはず。トリクルダウンなんてないんだから。
    22:26  -  2018年5月31日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1002421139753189381

    消費税を8%にした野田政権は「冷酷」という意見を見て仰天した。累進税率を下げてきたのは何政権? 法人税を下げたのは? 消費税を導入したのは? 3を5にしたのは? ずーっと金持ちに甘く弱者に厳しく税制を変えてきたのは自民じゃないの?
    22:30  -  2018年5月31日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1002422152383979520

     お互いフォローしていないので、RTを見て自分のことだと思われたらしく、リプライが来たので、仕方なく応じた(全部は引用しないので興味のある方はスレッドをどうぞ)。仕方なく、というのはこれまで見てきた限りの氏の主張から、恐らく議論は噛み合わないだろうという諦めだ。しかし、何と言っても相手は科学者で、論理的な思考のできる人のはずだし、被曝影響などにも詳しいらしい人だ。理解し合わなくともお互いの言い分くらい分かるものと思っていた。しかし残念ながら、菊池氏はぼくが一番どうでもいいと思っている金融緩和がどうしたという話をするばかりで、何らぼくの言ってることの核心を理解されないまま去って行ってしまった。
     結局何も分かってくれなかったと分かったのが以下のツイートだ。

    kikumaco
    返信先:  @sukiyapotesさん  
    自殺者数の変化をざっと見ると、安倍政権になってから年間1万人ほどの命が救われているようです。これを逆戻りさせていいか、というのがひとつの問題になると思います。逆戻りはまずいだろうと。リフレ左派が困っているのはそこです。リフレ政策を変えずに政権を変えたいわけです
    15:08  -  2018年6月3日
    https://twitter.com/kikumaco/status/1003398056417431552


    返信先:  @kikumacoさん、@sukiyapotesさん  
    デフレが人の命を奪うのはほぼはっきりしているので(失業率と自殺率には明確な相関があります)、「デフレ誘導はやばい」のです。デフレ誘導は経済弱者に対して冷淡な政策です。そこまではわかってるわけです。安倍政権に批判的なリフレ左派は困っていますが、今金融緩和をやめるのはまずい
    15:13  -  2018年6月3日
    https://twitter.com/kikumaco/status/1003399386557079552

    返信先:  @kikumacoさん、@sukiyapotesさん  
    「安倍政権を支持したいわけではないけれども、金融緩和をやめるわけにはいかない」と困っている人たちがたくさんいるのですよ。今の日本では経済政策の失敗は戦争よりも交通事故よりもたくさんの命を奪うからです
    15:17  -  2018年6月3日

     これらに対し、ぼくはこうツイートしたが、話にならないと思われたのか、答に窮したのか、いずれにしろ返答はない。

    返信先:  @kikumacoさん  
    ぼくは最初から、そういう「数字上の人の命」を盾にした物言いに納得できないから「おためごかし」だと言っているのです。「失業率と自殺率に明確な相関がある」。当然あり得る話です。(自殺者減はアベノミクスと関係ないという話もありますが、ここでは置いておきます)。
    4:06  -  2018年6月4日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1003593860293918722

    @kikumaco  自殺者の自殺理由はそれぞれですし、失業者の失業理由もそれぞれで(す:脱字)。もし、失業した人の多くが、ただそれだけの理由で自殺してしまうとしたら、そんな社会には景気がどうこうとは別の問題があるとは思いませんか? 経済対策と失業対策、失業対策と自殺対策は全部別の問題です。
    4:09  -  2018年6月4日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1003594563334762497

    @kikumaco  就職したけど職場の悩みで死ぬ人は? ブラック企業で過労死する人は? 経済対策は命の問題だ、というのなら、ブラック企業対策も命の問題です。ブラック企業を締め上げて閉鎖に追い込んだら過労死は減るかもしれないですが失業者は増えるかもしれませんね。
    4:12  -  2018年6月4日  
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1003595327369240576

    @kikumaco  どれほど景気がいいときでも、失業者はいるし自殺者もいますよ。景気がいいのに失業する人間、自殺する人間は「自己責任」だからしょうがないんですか? またそもそも景気が悪いのはすべて政府のせいなんですか?
    4:18  -  2018年6月4日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1003596899281076225

    @kikumaco  そして、一番解せないのは一応は門外漢(ですよね?)である菊池先生にも分かる、これしかないという経済政策を、どうして安倍以外ではできないとお思いなのかということです。安倍が考えた政策ですか?石破になったらやめちゃう確信があるんですか?絶対正しいのに?
    4:21  -  2018年6月4日
    https://twitter.com/sukiyapotes/status/1003597586589089792

     整理すると、ぼくがずっと問題視していることは二点。一点は、「景気をよくしなければならない」と言いたいがために、自殺者数一万人減を持ち出す詭弁。そしてもう一点は最後の質問、「なぜその政策が安倍政権でなければできないのか?(できないと思うのか?)」を一言も言わないことだ。総裁自身に様々な問題があれば、それを下ろしてすげ替えるのは与党が率先してすべきことであるはずだ。たとえ今内閣総辞職したとして、野党が政権を握ることなどとうていあり得ないのに、一体なぜ野党批判を繰り返すのかまったく意味が分からない。そしてまた、たとえ今非常に景気がよいというのが事実で、自殺者も減る幸福な社会が来ているのだとしても、そのことは今のような政治の私物化、公文書改竄といった犯罪や犯罪的所業を帳消しにするものでも何でもないというごくごく当たり前のことも分かっていらっしゃらない様子だ。自殺するかもしれない人が一万人も救われたのだから、公文書改竄での一人二人の自殺や、レイプ犯が逃げ延びることは些細な問題だ、とでも思っていらっしゃるのだろうか。もしそうなら、もし安倍が一人二人自分の手で誰かを殺していたとしても、総理を続けさせるべきだと、そう思われるのだろうか。

     しかしまず、最初の問題「アベノミクスで自殺者数一万人減はトンデモの詭弁」について次項で書いてみたい。
  • 「シン・ゴジラ」感想

    『シン・ゴジラ』は特撮映画として、怪獣映画として、“娯楽映画”として一級品であると思うし、様々な美点を備えていると思いはするものの、世間の多くの人のように言葉を極めて「大傑作」とは喜べない自分がいる。当然、似たような感想を漏らす人も多いだろうと思っていたものの、案外そういった評を見かけない(そんなに知らない人の評まで漁っているわけではないのだが)。思ってはいるけど“ネタバレ”になるのを恐れ差し控えているだけなのか、それともぼくのようには感じない人の方が多いのか。(自分の観たい)人間ドラマがない、こんなのはゴジラではない、その他諸々この映画にひどく否定的な評もぼくの思いとはまるで違う。そんなわけで「映画評」というものとはいささかずれるにちがいない文章だが、少し長く書いてみることにした。

     まずは「娯楽映画としての」感想から。
     平成ガメラ('95~)における台風情報を模した「ガメラ情報」は、当時リアルタイムであれを観た人間は「ああ!」と感嘆したはずだ。そしてまた自衛隊(もしくはそれに準ずる存在)を、単なる噛ませ犬でない、全力で怪獣を撃退しようとする存在として描いたのもあのシリーズが初めてではないだろうか(そのことを政治的な意味と捉えて批判する人間もいるようだが、バリバリの護憲派のぼくから見てもそれはピント外れだと思う)。一方またテレビドラマシリーズ「踊る大捜査線」('97~)が見せてくれた「公務員である警察官」「役所である警察」像。
     これらは全部、「シミュレーションとしてのリアル」であり、「そうか、役所ってそうだよな」というような情報、知識そのものが持つ面白さであり、ぼくは便宜的にそれらをまとめて「あるあるのリアル」と呼んでいる。「あるあるのリアル」はもちろん、単なる「あるある」「常識」であってはならない。今まで無批判に再生産されてきたエンタテインメントの中の嘘を暴き、「そうか、ほんとはそうだよな」と思わせる説得力がなければならない。
    『シン・ゴジラ』は、これらの作品が目指した方向性、面白さをとことん煮詰め、シミュレーションして作られた現在最高峰の「あるあるのリアル」を備えた怪獣映画である。
     ただし「あるあるのリアル」を積み重ね、たくさん備えているからといって、ではそれは「リアルな映画」になるかというとそうではない。切り捨てられたリアルも山ほどあるわけだし、何よりこの映画の演技は、大杉蓮、國村隼といった超名バイプレイヤー数人を除けば、ほぼ全員大根――というかステロタイプな演技を強制されていて可哀想なくらいだ。冒頭の海上保安庁のビデオといい、アクアラインから避難する若者たちの言葉といい、POVの、本来ならもっと迫真性、ドキュメンタリー性があっていいところでの素人の棒読みは少々白ける。
     そして「役人は早口だから全員早口で喋ってくれ」と言われたらしいが、とにかく全編、難しい言葉の頻出する長台詞を俳優たちは誰一人噛まず、言い淀まず、聞き返さず、ああ、台本通り喋ってるんだなあ、という芝居が続く。それは「ある意味リアル」かもしれないが、別の視点から見ればまったくリアルではない。
     これは演技を気にしてはいけない映画なんだな、それならこちらもそのつもりで観よう、と思い最後まで観て思ったのは、これは「最高に金をかけた自主映画」だということだ。「アニメ」という意見もあるようだが、ぼくは全然アニメっぽいとは思わなかった。これはまさに自主映画で、そして金をかけただけのことはある、「最高に面白い自主映画」になった。「一点突破」は自主映画の特徴でもある。オタクがその情熱を一点に込めて作った映画なのだから、熱狂する人がいる一方、「思ったものと違う」とがっかりする人がいることも当然だ。

     さて、「最高に面白い」と言ってしまった。もちろん面白い、この映画は。ぼくの現時点での怪獣映画ベストワンは『ガメラ2 レギオン襲来』だが(2位以下は難しい。金子ゴジラ、ジャクスン版『キング・コング』あたりか)、観る前はもしかしたらこれらを抜いてしまうような傑作ではないかと期待していた。
     しかし、映画としての出来の良さ(演技除く)、ヴィジュアル、CG技術、あるある的面白さ、それらがあってなお、あるところから興奮は冷め、映画に入り込むことはできなくなり、傍観者のように見るしかなかった。
     放水車が出てきたあたりからである。
     メタファーという言葉は嫌いだが、ああいうのは多分メタファーとすら言わないと思う。「そのまんま」である。「現実の模倣」だ。あそこまでは、「ゴジラは○○のメタファーだ」「いや、そんなこと関係ない。ゴジラはゴジラだ」と解釈の問題で逃げられたのが、あそこで日本人は否応なく現実に引き戻されてしまう……と思ったのだが、そんな感想を目にしないところを見ると、そんなふうに感じたのはぼくだけだったのだろうか。それとも、多くの観客は、現実と照応してもなお、あそこで喝采を叫べる、ということなのか。
     血液凝固剤を経口投与、それもあのような体勢で、というのは、いくら理屈をつけようとシミュレーション的にもドラマツルギー的にも無理のある作戦だ(怪獣映画的には全然OKのレベルだが)。あんなふうにうまく倒せるか(というか、なぜあれでうまくいくと思えたのか)は目をつぶるとしても、あのように一応生物的な特徴を備えたゴジラに対し、「経口投与」で「血液を凝固させられる」となぜ考えたのかという不思議。特殊な胃で消化されるかもしれないし、そもそも熱線を吐ける器官に注ぎ込んで、薬が効くと期待するのも無理がある。血液を凝固させたいなら、なんとしてでも「注射」に近い方法を試みるのが普通だろう。米軍の爆弾で傷を負わせることはできたのだから、普通ならまずその道を探る。
     勘違いしないでもらいたいが、そういったあら探しをして「だからよくない」と文句を言うつもりはない。ぼくが思ったのは、「多少無理のある設定であっても、どうしても放水車のあの場面を撮りたかったんだな」ということだ。他の倒し方ではなく、あの方法でゴジラを倒したかったのだろう。そしてぼくはそこに、複雑な思いを感じざるを得ないのだ。

    『HEROES』('06~)というアメリカのドラマがあった。ぼくは実はこれを三話だけ観て以降観るのをやめてしまったので、全体としてどういう話かは知らない。世界中に突然ある日超能力者が生まれはじめ(覚醒、というべきか)、そのうちの一人が予知能力によって近い将来のある時点でアメリカ(ニューヨーク?)で起きる、911を想起させる高層ビル破壊シーンのヴィジョンを観る、というのが始まりだ。ああ、これを超能力者たちが協力して阻止する(もしくは敵味方に分かれて戦う)話なんだなと予想し、それが当たってるんだとしたら、ひどく幼稚な“救い”のドラマだな、と少々観る気が失せたものだ。超能力者によって911がなかったことになってハッピーエンドと言われても、現実はそうでないのに、物語を楽しめるものだろうか、と疑問に思ったわけ。(実際そんな話なのかどうかは知らないし、三話でやめたのはマシ・オカを見続けることに耐えられなかったことの方が理由としては大きいので、そんな話じゃなかったとしても「面白いから最後まで観ましょう!」とか言わないでね)
     事件から数年経つと、当然の事ながらフィクションの中の世界も「911後の世界」を少しずつ描き始める。あれだけ大きな社会的影響を及ぼす事件ともなると、そこに触れないことが逆に不自然になってもくる。『CSI:NY』('06~)の主人公は妻を911のテロで失っている。単なるキャラ付けでしかないのだが、たくさんの人が亡くなった事件をフィクションで扱う際には、そういうふうに背景として少しずつ取り入れていくのは慎重な選択だ。正面切って扱うなら、それは『ユナイテッド93』('06)のようなドキュメンタリー色の強いものとなるだろう。事件を中心的モチーフにしつつもまったく別のフィクションに昇華できるようになるのは、クリエイターだけでなく観客の側にも咀嚼し呑み込むだけの時間を要するのではないか。
     911がアメリカ人にとって衝撃的であったと同じように、もしくはそれ以上に東日本大震災と福島原発事故は日本人全体に大きな傷をもたらしたし、そして――ここが重要だが――今もそれはずっと続いている。911には明確な犯人――実行者がおり、またその首謀者と目されるグループに対し、アメリカはとことんまで“報復”することができた。グラウンドゼロはメモリアルパークとなった。着々と「過去」として乗り越えつつある(それらの過程すべてを肯定する気はまったくないし、今も続くテロや争いの源流が911にあることはもちろんだ)。一方、東日本大震災では被災して仮設住宅に住んでいる人がまだ大勢いるだけでなく、福島原発の事故によって故郷を追い出された人々もいる。そしていまだ汚染水を垂れ流し続ける原発は、溶け落ちた燃料棒の正確な位置すら分からず、収束の目処も立っていない。そして何より、驚いたことにあのような事故を経た後も、日本の原子力行政はほとんど変わらず、再稼働はもちろん、新設の話まで復活してきたということだ。
     全然終わっていない問題だ、という決定的な違いがここにはある。
     自然災害の多い日本において、そもそも怪獣は災害のように扱われる。ガメラ情報がテレビにL字で流されるように。
     東日本大震災で原発事故が起きていなかったなら。あるいは、原発の事故が起きていたとしても、何とかうまく収束でき、着々と廃炉作業が進んでいるなら。あるいは、原発はなくそう、という強いメッセージが政府から、そしてこの映画からも発信されているなら。ぼくも少しはあの放水シーンで悲しくならずに興奮できたかもしれない。

    『シン・ゴジラ』は円谷英二のいない世界であるらしい。それは別として、あの世界では東日本大震災は起きただろうか? 原発事故は? もちろん、起きていないだろう。あれは「311後の世界」でもない。津波と原発の両方のメタファーをしょったゴジラが、原発事故の起きていない日本の、東北でもなく福島でもなく東京にやってきて、東京だけを滅茶苦茶にしたあげく優秀な日本人政治家と科学者によって沈黙(撃退ではない)させられるパラレルワールドの物語だ。それはあまりに似ていて、あまりに違いすぎる。映画が、含みを残しつつもやはり一応のハッピーエンドを迎えた時、現実に取り残されたぼくは一体どんな感想を抱けばよかったのだろう?


     多分どうでもいいこと。
    1)長谷川博己と石原さとみが二人で立川のモノレール跡(ってテロップが出たような気がする)を歩くシーン。最初近くにあったカメラがどんどんどんどんどんどん引いていき、二人は右下の端っこに映るだけになるシーンがあるのだが、あれは笑うとこなの? 意味があるの? 大写しになるモノレールに何かあるのかと二回目もじっと観たのだけど何も見つからなかった。
    2)血液凝固剤を量産するために色んなプラントを総動員させなきゃいけません、ってとこでかかる威勢のいい音楽。ゴジラの音楽もエヴァの音楽も大体どこも合ってると思ったけど、あそこだけはちょっと選曲間違ってる気がした。あれもアリモノ?
  • “鳥肌”が立つ

     以前、mixi日記に書いた文章。

     昨日「ジャポニカロゴス」のスペシャルで「鳥肌が立つ」という言葉の正しい使い方、というのがクイズになっていた。もちろん、「怖いときに使うのが正しくて、感動したときとかに使うのは間違い」というのが「正解」だ。以前佐野洋の「推理日記」でも、誰かの作品中の表現に対し同様の文句をつけ、違和感を表明していたのを覚えている。  
     しかしそもそもこれは「コトバの間違い」なのだろうか。「鳥肌が立つ」というのは慣用句と言うよりはむしろ直接的表現であって、多少の誇張が含まれることはあるにせよ、実際に起きる現象だ。「足が棒になる」というのとは似てるようで違う。恐らくは、現代日本では大半の人が「感動して思わず鳥肌が立った」というような表現に対し、「実感として」納得すると思うのだが、「間違い」と指摘する人はそうではないのだろうか。  
     もしそうだとすると、日本人の大半は昔は「感動して鳥肌が立つ」ことはなかったのだろうか。  
     それともある時点で「すっごい感動すると鳥肌が立つよね」という発見がなされ(「あるある」みたいなもんか)たのか。  
     あるいはまた、少数の人々におけるそういう「発見」(もしくは「比喩」)が広まった結果、コトバによる支配が起きて実際に鳥肌が立つ人が増えたという可能性も捨てきれない。  
     うーん。どれでしょう?

     ――2006.4.16
  • “イスラム国”について思うこと


    「“イスラム国”は国ではない」とか「彼らはテロリストで、単なる犯罪者集団に過ぎない」といった当たり前のことをわざわざ言いつのる人たちのことがよく分からない。
    「“イスラム国”という呼称のせいで国だと勘違いしている人」に単なる事実として間違いを訂正しているのなら分かるが、とてもそうは思えないのだ。
    “イスラム国”がもし国家としての体裁を整えていたらどうだというのか。国家のやることなら「テロ」や「犯罪」ではなく、「戦争」だから仕方ない、とでもいうような論理(心情?)が透けて見えて仕方ない。

     今回、二人の日本人が拘束され、殺害されたのは間違いなく悲劇的であるし、理不尽で犯罪的なことではある。日本政府、ヨルダン政府を脅迫し、挙げ句の果てに殺害映像をアップするというのは誰にとっても残酷だし、ショッキングであるのはもちろんのことだ。
     ――でも、それでもなお、二人の命は二人でしかない。戦闘員であるヨルダン人パイロットを入れても三人だ。
     イラクでは、アメリカの攻撃以来、十三万人を越える市民、戦闘員を含めれば二十万人が殺害されている。(https://www.iraqbodycount.org) 大量破壊兵器を持っていると難癖をつけて一方的に攻撃を始めたのはアメリカだ。そしてその攻撃を(なぜか)世界で真っ先に支持したのは、他ならぬこの日本。自民党、小泉政権だ。
    “イスラム国”はテロ集団で許せない、と言う人は、その六万倍の激烈さでもってアメリカを非難しなくてはならないのではないのか? 人の命の値段が国によって違うことはいい加減分かっているけれど、それでもひどすぎやしないだろうか?
    「“イスラム国”は他にも沢山のイラク、シリアの市民、外国人ジャーナリストを殺したりしている」? もちろん、六万倍という数字はいくらでも修正したって構わない。そもそもイラク攻撃がなければ“イスラム国”もなかったろうという根本的なことに目をつぶって、どちらがより多くの市民の死に責任があるのか貸借対照表を作っても構わない。いずれにしても、“イスラム国”をテロ集団と呼ぶならアメリカはテロ国家と呼ばなければダブルスタンダードであるということに変わりはない。
     ブッシュからオバマ政権に代わったとき、「イラク攻撃は間違いだった」と認める声明は一応あった。一応。――では日本は? 間違いを犯したのはアメリカであって、それを真っ先に支持しただけの日本は何の関係もなかったというのだろうか。少なくとも政治家、評論家、当時イラク攻撃支持を表明した人たちから反省の弁、総括の言葉を聞いた覚えはない。

     911の直後、アメリカの作家スーザン・ソンタグは「ニューヨーカー」にテロリスト擁護と取れなくもないコメントを書いて大バッシングを浴びた。当時何で読んだのだったか思い出せないが、昨年の朝日新聞での高橋源一郎の引用がネットにあったのでそちらから孫引きさせてもらう。(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11367801.html
    『テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、そのことばは彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮(さつりく)を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。』(原文はNewYorkerのサイトで今も読める)
     当時もまったくその通りだと思ったし、今回も同じことをずっと感じている。ここはNewYorkerではないし、世界的に有名な作家でもないし、911と人質殺害ではニュースの大きさも違うが、それでも正直こんなことを書くと炎上するのかもなとは思う。似たような意見をネットでもまったく観ないということもあり、自分の感覚は世間とは相当ずれているのかもしれないし。
     ソンタグがあのコメントを書いたのが911のわずか三日後でしかないというのは改めて知って衝撃を受けた。それ以前から考えていたことを、あの事件のその先を見通した上で、激烈な反応があることも承知で書いたのだろうから。そういう意味で、高橋源一郎が「同じような事件がこの国で起こったとき、同じような感想を抱いたとして、ソンタグのようなことが書けるか、といわれたら、おれには無理だ。そんな勇気はない。」という感嘆は恐らく半ば本気で半ばは謙遜だろうが、ものすごくシンパシーを感じる。

     残虐さ、ということについても考えさせられる事件である。
    “イスラム国”のやることは現代日本で安穏と暮らす我々にとって確かに残酷でショッキングではある。「卑劣」「残虐」「許し難い暴挙」……すべてもちろん我らが安倍総理も繰り返しおっしゃるとおりである。
     しかし、怒りで目を眩ませる前によく考えろと言いたい。もっとも犯罪的なことは、二人の(ほぼ)無関係な市民の命が奪われたことである、と。殺し方が残虐かどうかとかその光景を撮影して全世界に公開したとか、彼らの命を盾に無茶苦茶な交渉をしようと脅迫してきたとかではない。二人の市民が殺害されたことをまず中心に考えなければならない。
     首を斬って殺すのは残酷? なるほど。戦車で轢き殺すのはそうではないのか。ミサイルで一瞬にミンチにされる方がましか? 劣化ウランに蝕まれてガンになるのは仕方ない? ――残念ながら、これもまたアメリカが彼の地で行なってきたことと比べて特別どうということもない。
     首を斬ったり生きたまま火をつけるのは「分かりやすい」だけに恐ろしいことだが、何より我々が恐怖している理由は、「その映像が公開された」ということに尽きる。彼らが同じ殺し方をしたとしても、黙っていれば我々は恐怖しようがない。分からないのだから。あるいはもう少し言うと、「その行為を撮影し、世界に見せようというその神経」に恐怖しているとも言える。かつて我々が、小学校の校門に置かれた児童の首に戦慄したのと同じだ。これは世界を相手にした劇場犯罪なのだ。
     しかし、人間には歴史の知識も想像力というものもあるのだから、見せられていない光景だってある程度は考えれば分かる。二人の人間を拉致して自分自身の手で殺す行為と、何十人かの戦闘員を殺そうと爆撃して顔も知らない市民を数十人、数百人まとめて殺す(そしてその映像はあっても隠しておく)行為のどちらが本当に残虐か。全面降伏させるために広島長崎に二発も落とされた原爆は二十万人以上を殺し、その後も長く続く地獄を多数の人に味わわせたが、「テロ」ではないのか(ないんだろうな、多分)。
     残虐さの基準はもちろん、「命の価値の差」とも関わってくる。
     彼らはいうならば「野蛮」である。それは間違いない。生まれた時から紛争の連続で、沢山の暴力的な死にまみれ、またその手を血に染めてきた人間がほとんどだろう。自分自身もいつ死ぬか分からない。正真正銘の「常在戦場」だ。戦場にいる人間が人の命に対してシニカルになるのは当たり前のことだ。彼らに、他殺体の一つも見ることのないのが普通の国の人間が「命の大切さ」を説いたって通じるわけがないし鼻で笑われるだけだろう。生きている時代も、同じだと思わない方がいい。公開処刑が市民の娯楽だった時代の人間に、「悪趣味だ」と言っても仕方ない。日本人や欧米人の先祖がかつてそうであったのと同様、彼らはそうありたくて「野蛮」であるわけではない。人間は、そのような環境におかれればいくらでも「野蛮」で「残虐」になれるものだということだ。

     そしてまた、「貧者の核爆弾」というキーワードもずっと頭から消えない。これは核兵器よりはローテクで安価に作れる生物化学兵器を指した言葉だが、それらは現在は一応国際条約によって禁止されている。特別に危険視する理由はもちろん分からないではないが、「貧者の核爆弾」を、多数の核爆弾を所有している大国が(ばかりではないが)集まって「あれはみんな禁止ね!」と決めている光景のなんとグロテスクなことか。(そしてもちろん核兵器全面禁止条約は一向に成立しない)
     今回の「テロリスト集団」「犯罪者」「卑劣極まる」といった呪詛のような言葉からは、まったく同じ意志を感じる。「弱いものに武器を持たせるな」という意志だ。
     生物化学兵器が「貧者の核爆弾」なら、テロ行為(+インターネット)は「貧者の空爆」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。たった三人殺しただけで、一体どれだけの効果を世界に――少なくとも日本に――与えたことか。そしてなんとも見事にうかうかとはまりこんでゆく安倍ニッポン。

     どうにもうまくまとまらないが、とにかく「野蛮人」に「君たち、野蛮なことはやめなさい!」と言ってもどうにもならない。彼らがそのような生活から抜け出さない限り、また、新たにそのような「野蛮人」が育つ環境をなくさない限り、永遠に彼らは生まれ続ける。
     彼らに報復をする行為は、単にこちらが「野蛮」の土俵に降りるだけのことだ。ずっとアメリカがやってきた「テロとの戦い」がまさにそれだ。
     今回の安倍政権の対応についてごちゃごちゃ文句を言う気は毛頭ない。恐らく小泉は何の覚悟もなくイラク攻撃を支持したのだろうが、日本人はあの時からずっとその戦いに「参戦」しているのだと思っている。911の当時、一瞬は日本国内でのテロの可能性についても心配する空気はあったはずだが、あっという間にそんなものは忘れられてしまっていた。今回のことで、自分たちが勝手に「参戦」させられていることは全国民が理解したはずだ。この戦いを続けるのか、それとも降りるのか。
     降りる、というのはつまりは、まずは「完全なるアメリカ追従」をやめるところから始めるしかない。イスラム諸国に、またパレスチナにも人道支援を行なっている、どちらの敵でも味方でもない、と本当にアピールしたいなら、まずアメリカから「距離を置く」ことだろう。安保を破棄する必要はとりあえずない。安保で取り決められたことだけは守ればいい。しかしたとえばイスラエルの非難決議に棄権してるようでは話にならない。(たとえアメリカの拒否権で議決されないことが分かっていても、だ)「集団的自衛権」のことなんか忘れろ。
     ……まあしかし、そんなことは無理なんだろうな。『日本はなぜ基地と原発をやめられないのか』を読んで、日本が思っていた以上にひどい属国状態だと分かってしまった今、どんな政権にも期待できないし、ましてや安倍政権では……。
     戦いを続ける、という選択肢を選んだ場合は、大国同士の戦争・領土侵犯といったリスクは低減するかもしれないが(そもそもこの70年巻き込まれていない)、テロのリスクは相変わらず続く――恐らく永遠に――ことを覚悟するしかない。
  • 『殺戮にいたる病』あとがきを一部抜粋

     以下は1992年9月に発行された『殺戮にいたる病』四六版にのみつけられた「あとがきにかえて」と題した文章の一部である。四六版は確か7000部くらいで重版もしていないので余り多くの目には触れていないだろう。なので、21年近くも経ってまだ同じことを言わねばならないのかという徒労感をこらえて書き起こしたいと思う。(データがないので)

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    (前略)

     ある朝、新聞を開くと宮沢りえの全身ヌードが目に飛び込んできてのけぞった。もちろん去年話題になったあの写真集の全面広告である。彼女がヌードになったことにはさほど驚かなかったが、それが全国紙に載ったことには心底驚いた。
    「わいせつ性がないと判断した」から広告掲載を決めたのだという。どこかの主婦が、「いやらしくないから息子に買ってやりました」と発売後に街頭インタビューで答えていた。
     そういった下らない発言の洪水の中で、唯一救われたのは、写真家の荒木経惟氏の次のような言葉だった。「ワイセツじゃない写真なんか撮りたいとは思わない」
     写真芸術にまったく理解のないぼくはその意味を曲解しているかもしれないが、とにかくこれには頷かされたし、心を動かされた。実際荒木氏の、静物ばかりを撮った写真集を見ても、その思いは感じ取れたような気がする。花が、靴が、それらのある空間そのものが何か“ワイセツ”なものとして切り取られていた。人を撮るのでなくとも、やはりそこには“ワイセツ”な視点があるからなのだろう。素晴らしいことだ。人間を主題としているのに、どうして猥褻なものをそこから切り離して考えることができるのか、そのことの方がぼくには不思議だ。芸術か「わいせつ」か、とさんざん昔から論争されてきたが、それら二つが排他的なものであると、一体誰が決めたのだろう。その猥褻性ゆえに芸術たり得るものは、存在しないとでもいうのだろうか?
     宮沢りえ写真集に先立って、毎度おなじみのヘア問題というものもあった。篠山、荒木両氏の作品で女性の陰毛が見えているというので、両氏は厳重注意を受けたのだった。その時の審査委員の中には、「芸術性の高いものについてはよいのではないか」「篠山氏のものには芸術性が感じられた」と発言した人もいたそうである(猥褻性の低いきれいなヌード=芸術性が高い、という短絡的な図式が見えるように思うのはぼくだけだろうか)。 
     この時ぼくは心底ぞっとした。ヘアが見えたの見えないのなどと恐るべき低次元の論議をしているような連中が、創作における「芸術性の有無」を判断するような社会が到来したらどうしよう、と思ったのである。オーウェルの未来社会みたいなものではないか。そんなことになるくらいなら、「ヘアは駄目」と割り切ってくれたほうが遙かにいい。その判断をするだけなら、想像力はなくても視力さえあれば誰にでも務まる。ごくたまに見逃されて世に出たヘアには、われわれ馬鹿な男達が喜々として飛びつくことだろう。平和である。

    (後略)
    ----------------------------------------------------------------
     もう一度言うが、この文章は21年前、ぼくが30の頃に書いたものだ。前後は長すぎるので削ったが、当時と今、状況はほとんど変わっていないし、それに対する意見も変わっていない。
  • 秘蔵のスパム集

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    SUB:白姫女子校保健室からのおしらせ  

    この前の妊娠検査について  
    県立白姫女子高校保健室からのお知らせです。  

    間違って受け取った方は、  
    お手数ですが、破棄してください。  
    お詫び致します。  

    該当する人は  
    下記リンクより入ってお知らせを確認して下さい。  
    (ここに大量の文字列のくっついたリンク)
    (2005.1採取)
    ---------------------------------------------------
    Sub:県立青葉女子校新入学生への連絡【保険室より】  

    ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★  
    新入学生の皆様へ  
    ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★  

    新入学生の皆様、合格おめでとうございます。  
    当校では、健康に学業を推進していただくために  
    入学式の前に、性病等の健康診断を実施致します。  

    実施日:    3月23日(水)  
    受付開始時間: 午前10時~  
    受付場所:   校門正面玄関前(銅像の有る付近)  

    当日の服装ですが、  
    必ずフロントホックブラを着用してきて下さい。  
    乳ガン検診と内診が有ります。  

    当日の注意ですが、  
    当日朝の朝食では、必ず飲み物を十分摂取してきて下さい。  
    コップ一杯(150ml)の検尿があります。  
    当然ですが、前日の「いけないこと(H等)」は控えてきて下さい。  

    ↓詳しい事は下記のサイトで案内しています↓  
    (ここにアドレス)  
    (2005.2採取)
    ---------------------------------------------------
    某国立大医学部ニ年の秋山都子と申します。  
    あなたにお願いがあってメールしました。私は今、「精嚢分泌液に内服されるセリンプロテアーゼ(主にPSA[Prostate-specific  antigen])の空気接触に伴う状態変化について」という課題についてレポートを書かされているのですが、書物だけで調べてもなかなか進めることができないでいます。  
    私はこれまで20年間男性経験が一度も無かったため、精嚢分泌液、つまり精液に関する実地的な知識に乏しいのです。(地元の高校に居る間は父が厳しく、男性と交際する機会がありませんでした)  
    それに伴いまして是非一度、成人男性の本物の精液を採取し、この目で確かめた上でレポートの参考にしたいのです。  
    もしも差し障り無ければ、あなたの精液を採取させてもらえないでしょうか。  
    決して肉欲的な意味でのお願いではありませんので採取方法は主に手や口を使うのみとさせて頂きますがご了承くださいせ。  
    (とはいえあなたが私に対して女性的な魅力を感じて頂けなかった場合、採取行為が不快に感じられてしまう恐れもございますので、ご希望に応じて予め私の顔写真などを送付させて頂くことは可能です。ちなみに私の身長は157cm、体重44kgです)  

    場所はどこかホテルの一室を取ろうと考えております。交通費、ホテル代、お礼としてのお食事代程度しかこちらでは負担できませんが、(何分学生の身分なので申し訳ありません)  
    ご都合を付けて頂けないでしょうか。  
    お返事を頂ければ、今後のスケジュールなどを追ってご連絡差し上げます。  
    それではどうかご検討くださいませ。  
                                      秋山都子  
    (2005.12採取)
    ------------------------------------------------------
    Sub:お口で占いさせてください…
    初めまして、私は27歳で竹下歩美といいます。  
    実は私、占いの勉強をしており、貴方を占わせて欲しいのです。  
    ただ、その占いというのが率直に言いますと男性器を口に含み、こねくり回さなければ出来ないのです。  
    突然、こんな話しをされて引いてしまうかもしれませんが真実なんです。  

    それは1年前の夏の出来事なのですが、当時付き合っていた彼とエッチしているときに、  
    「歩美、俺のシャブリながら、オナニーしてよ」って彼に言われたんです。  
    初めは彼に言われるがままだったのですが、  
    実際にやってみると思いのほか感じてしまって、いつも以上に気持ちよくなってしまったんです。。  
    そして絶頂に達したその時、なにか今まで見たことのないイメージが沸いてきて……。  
    いまの私と同じ行為を別の女性がしているイメージが浮かんできたのです。  
    彼女もフェラをしながら、アソコを触っていました。  
    その女性が誰なのか、直感的にわかりました。その女性は彼の前の彼女でした。  
    私は途端に凄く冷めてしまって、、彼には話しませんでしたが…。  
    その後、彼とは別れました。  
    以来、好きな人とすると必ずそういったイメージが見えるようになったのですが、  
    面識の無い他の方で試してみたいんです。  
    この話は、まだ誰にも話したことがありません…というより知人には話せません。  
    なので、お互い秘密厳守で協力してもらえないかと思いメールしました。  
    もちろん、少ないかもしれませんが謝礼も考えています。  
    もし、承諾していただけるなら、簡単な貴方のプロフィールをいただけないでしょうか?  
    私も送ります。  
    (2006.2採取)
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    初めまして。見知らぬ人間からいきなりのメールの到来、すわ何事かといぶかしんでいるかと思われます。  
    当方、米田寅美という婆で御座います。  
    主人は既に他界しており、息子夫婦も四年前に事故にて失い、  
    今は息子夫婦の残した孫娘と朗らかな日々を過ごしております。  
    やつがれと同年代で嗜む者が多い盆栽にもゲートボールにも興味が無く、趣味は専らインターネットでのエロ画像の収集であります。  
    早速ですが今回メールさせて頂いた本題に入ります。  
    折り入ってお願いがあるのですが、孫娘と交尾して頂けないでしょうか。  
    孫娘は、身内であるやつがれの贔屓目抜きでも別嬪だと思っているのですが、如何せん奥手で内気な性格が禍して、二庶O回(原文ママ)の誕生日を迎えた今でも処女なんです。処女膜、在中です。  
    若かりし時分のやつがれは、孫娘と同じ年齢の頃には何署l(これまた原文ママ)もの殿方と交尾を夜な夜な繰り返し、「淫獣」の通り名を轟かせ、快楽に満ち溢れた人生を謳歌していたものです。  
    孫にも交尾の悦びを覚えさせたい、少なくともやつがれの血を引きし者として、根は淫乱であろう事は想像に難くないのですが、切っ掛けに恵まれてないのが不幸で。  
    孫の許可も既に得た上で、こうして交尾していただける殿方を探しているんですが、お願いできないでしょうか?  
    謝礼金も用意出来ますので。  
    それでは、御返事お待ちしております。  
    長文失礼致しました。  
    (ここに出会い系のアドレス)  
    (2006.5採取)
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    From:ドーベルマン奈々子  

    はじめまして。  
    あなたのご友人から「小学生時代に修学旅行でお風呂に入ったとき他の人より人並みはずれた短小だった」とお聞きしたのですが本当ですか?  
    今もその短小ぶりは発揮されてますでしょうか?  

    率直にお話しますと、実は私もオマン穴がすっごく狭くって、  
    普通サイズの男性でもかなりキツイというか痛くて…気持ちィィとか思えないんです。  
    針の穴に曙の指を無理やり通されているような気持ちと言えば、  
    どれくらいキツイか分かってもらえますでしょうか?  
    そんな時あなたの短小のお噂を耳にし、いてもたってもいられない衝動に駆られ、  
    ご友人の方にご了承頂いた上でメールさせて頂く事にしました。  
    ひょっとすると事前にお話をお聞きになられておらず驚かれているかも知れませんね。  
    もし、そうでしたら失礼をお詫びします。  

    付け加えると、ご友人の方からは「恐ろしく先細りな形だった」ともお聞きしています。  
    まさに、それこそがあなたに私がメールする決定打となった言葉でした。  
    そうなんです…まずはゆっくり細い部分で責められて、段々と根元が入っていくにつれて  
    太さを感じられるという形こそ私の求めていた理想の形だったのです。  

    適材適所という言葉がありますが、あなたはまさに私にとって適材。私はあなたにとって適所。  
    刀とさやのような関係を結べるパートナーだと思ったのです。  
    あなたも私と同じようにそう感じていると思います。  
    と同時に、私がどんな女なのか確認したいと思われている頃だとも思いましたので、  
    ここに、  
    http://XXX.XXX.XXX/  

    私の顔や全身の写真、そして私がなぜドーベルマン奈々子というハンドルネームなのかも  
    すべて分かるように理由も書いておきました。  
    ドーベルマン奈々子で検索してもらえればすぐ分かると思います。  
    もちろん、プロフィールを見ていただければケータイのアドレスもあなたに渡るようにしてあります。  
    http://XXX.XXX.XXX/  

    それではお返事お待ちしています。  
    (2008.2採取)
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  • 自民党改憲案の怖さ

     以下の文章は、2年前の参院選の前にmixiに書いた日記だ。

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     ぼくはもちろん、自民党や公明党を支持したことなんか一度もないけれど、21世紀になってからこっち、ほとほと彼らには愛想が尽きた。  
     でもそれは、安倍、福田、麻生の三バカトリオのせいではない。みんなはおそらく三バカトリオのおかげで愛想を尽かしたんだと思うし、ぼくも「たいがいにせえよ」とは思ったけれど、問題は小泉だ。  
     郵政民営化?  
     もちろん、そんなことはどうでもいいのだ。  
     民営化するのがいいのか悪いのか、それは簡単に答えが出る問題じゃないし、色んな意見があって当然だ。やってみなきゃ分からないこともあるだろう。  
     年金問題?  
     そんなの、小泉のせいでもなんでもない。(自民党のせい、とは言えるかもしれないが)  

     みんな、誰一人そんなことは覚えてないのか、最初から気にもしてないのか知らないが、小泉は、戦後60年の日本の歴史の中で、最悪のことをやった。  

     小泉は、ブッシュの戦争を支持した。真っ先に。  

     アメリカは、(一応は)「ブッシュの戦争」が間違っていたことを認めた。  
     自民党は? 小泉は?  
     もちろん、知らんぷりだ。アメリカがやったことなんだから、ついていくのが当然で、アメリカが間違えたことは自分たちの間違いではないとでも思ってるのだろう。属国だと思ってる証拠だね。  
     インド洋の給油を中止した民主党は、政権交代した際に、もうちょっとなにがしか戦争そのものについて糾弾してくれるかと思ったが、彼らにも同じ穴のむじながいっぱい紛れ込んでいるからだろうか、なーんにも言わなかったね。  

     もう一度書くが、  

     小泉内閣は、何の根拠もなかったブッシュの戦争を支持し、支援し、日本国民を大量殺戮の共犯者にした。  
     そのことに何の反省もない議員連中には二度と日本の舵取りを任せるわけにはいかない。「人道に対する罪」で死刑にしてもいいと思う。  

     景気? 消費税?  
     もちろんそれらは、生活者にとって重要な議題ではあるだろう。  
     しかしそんなことは、今もイラクで失われ続けている人命や収まらない混乱と比べたら、些細な問題としか思えないのだ。  

     今、マイケル・サンデルというハーバードの教授が書いた「これからの『正義』の話をしよう」という本がベストセラーになっているらしい。本は読んでないが、この教授の講義を放送した「ハーバード白熱教室」は半分くらい見たので大体中身の想像はつく。  
     ある種の状況における「正義」の追求のしかたについて考えさせられるものだ。  
     こんな本や番組を、一体どんな人たちが読んだり観たりしているのか分からないが、真剣に「正義」について考えている人が少しでも増えているのなら喜ばしいことだ。しかし、果たしてそんな人たちは小泉のやったこと――小泉が日本にやらせたことについて、一体どう思っているんだろう?
    (2010.7.10)
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     再び同じことを書こうと思ったのは、自民党の改憲案を読んで呆れかえったからだ。人権よりも「公の秩序」を重視していることについては多くの人が問題点を指摘しているが、「国防軍」「集団的自衛権」のことについては余り見かけないのでそちらについて。

     自民党の改憲Q&A4「安全保障」のQ7の答にはこうある。

     9  条1  項で禁止されるのは「戦争」及び侵略目的による武力行使(上記①)のみであり、自衛権の行使(上記②)や国際機関による制裁措置(上記③)は、禁止されていないものと考えます。

     ええっ、「制裁」のために自衛隊(国防軍?)を出せるようにするって?
     よく集団的自衛権の話で引き合いに出されるのが、共同演習しているときにアメリカの艦船が攻撃を受けた場合、一緒に応戦できないのか、などと言われる。これは確かに理不尽な話で、そこで応戦できないようなら共同演習もできないだろうとは思う(そもそもが極めて極端な仮定だが)。
     しかし「制裁」とは何なのだ。「国際機関」とは?
     アメリカが大きな力を持つ国連でさえ認めなかったイラク攻撃に、真っ先に賛同の意を表明したのが小泉だった。当時、この改憲憲法が施行されていたら? フセインに対する「制裁」として「国防軍」はイラク攻撃に参加したってことじゃないの?
     イラクでは今も市民の被害は続いていて、12万にも及ぶ死者を今も更新し続けている。その数を、「国防軍」がさらに増やしたことだろう。

     よく、「『日本は金だけ出して血を流さない』と言われる」などと言う。誰に言われるのか、本当に言われてるのか知らないが、「自衛隊を海外派遣したい人たち」はこのようなことを言う。タカ派の人たちの「血」というのは決まって自分たちの「血」で、「お国のために」「自己を犠牲にして」流す「血」のことだ。おめでたいロマンチストなのだろう。
    「制裁」に行くってことは、主にその国の人の血が流れるってことだ。自衛隊を殺戮集団にするってことだ。アメリカの爆撃手がゲームのように画面を覗きこんでミサイルを発射していたのと同じことを、日本人にもさせるってことだ。市民を誤爆したら「遺憾なことです」と言って安い賠償金を払うってことだ。
     安倍はああいう報道を観ていて、ぞっとしなかったのだろうか。「九条を直して自分たちもあれに参加したい」と思ったのだろうか。

    「武力を行使しない」というのは自分たちの血や汗を流さない、という意味ではない。「人を殺さない」ということだ。違うかね?
  • おためごかしの論法を使う人たち


     ここ最近、特に震災・原発事故以降「おためごかし」としか言いようがない言説が日本中を覆っているように感じているのはぼくだけだろうか。
     曰く、「電気がなくて死ぬのは病人と老人、弱者からだ。原発を止めると人が死ぬ」。
     曰く、「景気をよくしないと失業者も増え、自殺者も増え、治安も悪くなるばかりだ。まず景気をよくしなければ」。
     曰く、「被災者を助けるためにも景気をよくしろ」。
     全部全く同じ論法。
     一見正論で、反駁しようがないように思える。
     しかしもちろん、こんなものは本音じゃない。
     日本の素晴らしい言葉(=概念)は「もったいない」だけではない。「おためごかし」という言葉を当てはめるとあら不思議、すごく分かりやすくなる。

     おためごかし【御為ごかし】:表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。

    「原発止めると人が死ぬ」というのは、「原発止めたら電気代が上がって困る」だし、「景気が悪いと人が死ぬ」というのは「ボーナス出ないとローンが払えない」だ。
     だったらそう言えばいい。別にそれは恥ずべき主張ではないのだから。なぜそれを「弱者が困るだろ」と論点をずらさねばならないのか。ダシにされる「弱者」こそいい面の皮だ。

     この手の論法が怖いのは、一見正論で反論しにくいだけでなく、まさにその「弱者」に相当する人さえ「その通りだよな」と真に受けてしまいやすいことだ。こんな論法を真に受けていたら、99%の貧困層が1%の金持ちを支えるような国に、あっという間に成り下がってしまうことだろう。

     心から弱者を、生活困窮者を救いたいと思っているなら、「福祉の充実を。そのための増税(所得税、法人税等)なら賛成」と言うはずだ。
     弱者救済の一番手っ取り早い方法は富の再分配だ。持てるものが、持たざるものを食わせてあげればいいだけの話。日本はそれすらできないほど貧しい国になってはいない。実際ニートが大勢生きていけるのも、デフレと今の親世代に当たる年金受給者が(不当なほど)たくさんもらっているおかげだろう。「落ちこぼれる人のいない国」を目指すのなら、社会主義を、高福祉国家を目指せばよい。
     でも「おためごかし」の論法を使う人たちはもちろん、自分の身は切りたくない。というかすでに自分たちは「ギリギリ」だと感じている。そしてなぜか、敵視するのは大金持ちではなく、自分と近い立場にいる小市民。都知事の公費無駄遣いより、生活保護の不正受給に腹を立てる。自分は都知事になることはないが、不正受給ならやろうと思えばできるからだ。「俺は真面目にやってるのに、抜け駆けしてうまいことやりやがって」というわけ。

    「原発なしには日本は立ち行かない。だから原発は必要なのだ」と言い張る人も同じ。
     原発が必要で、安全なものなら人口密集地の近くに作ればいい。廃棄物処分場もだ。
     米軍基地も同様。
     基地や原発が、自分の街に来るとしても仕方がない、我慢できる――そういう人以外が、原発を「推進」したり日米安保を「堅持」するなどと軽々しく言えないはずだと思うのだが、安倍自民党が支持されるということは、この国の大半の人はそう思ってはいないようだ。
     基地が来るのは困る。でも日米安保は必要だ。
     原発や処分場が来るのは困る、でも安価で大量のエネルギーは必要だ。
     ――これを「我欲」と言わずして何と言うのだろう。
     東日本大震災は自然災害だが、福島原発事故はある意味「天罰」だろう。普通の感覚ならそこで反省するところだが、東京を中心とする多くの日本人には「ジャブ」程度にしか感じられなかったということか。

     この期に及んで安倍自民や石原が票を伸ばすような国なら、まあ滅んでも仕方ないと思うよ。
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